過去
「あの日、私はいつものように一人で店番をしていたわ…」
………―
…――
「御免ください」
あるどんよりと曇った昼下がり、桜が店番をしていると、身なりのよい一人の男が訪ねてきた。
「はい、いらっしゃいませ!」
仕込みをしていた桜は、慌てて前掛けを外しながら店に出ると、男は被っていた帽子を脱ぎ一礼した。
「初めまして。私は間宮秀志と言います。楓さんの…婚約者です」
「え?婚約者…?」
「はい」
「(婚約者って初めて聞いたわ。楓、今までそんな事言ってなかったのに…)はあ、そうですか…それで、その婚約者の方がなんのご用でしょうか?」
貼付けたような笑顔を浮かべる間宮に、若干嫌な感じを覚えた桜は、少しきつい口調で用件を尋ねた。すると間宮はニヤリと笑い、桜の元に近付いてきた。
「……客にその態度はないだろう?やはり楓の金魚のフンだな」
「はあ?!貴方こそ、初対面の女性に対して失礼じゃない?本当に楓の婚約者なの?疑わしいわね!!」
元来、勝ち気で思った事をずばり言ってしまう性格の桜。間宮のあまりにも不愉快な言動に、声を荒げ抗議する。しかし、間宮やニヤニヤと厭らしい笑顔を浮かべながら、桜を馬鹿にしたように鼻で笑う。
「はっ!まったく、教養のなっていない小娘だな!楓もなんでこんな小汚い小娘と親友でいるのか……考えた事はあるかい?」
「な、なに言って…」
「ハッキリ言おうか?お前は楓の引き立て役に過ぎないのだよ」
「な!そんな事…!!」
「ない、とは言い切れないだろう?元に君は羽山和馬を楓に奪われた。違うか?」
「え……?なんで、なんで和馬さんの事……」
心の奥底で感じていたもの。自分は楓の引き立て役なのでは。だから傍に親友として置いているのではないか。
今までは、あくまでも思い込みだと桜は気にしてはいなかったが、第三者である間宮に言われ心が揺らぐ。もしかして、まさか、でも……桜は心で自問自答を繰り返す。
でも、それよりも……
「なんで、なんで和馬さんの事を知ってるのよ」
「ふん……あの男が楓をたぶらかしたのでね。まったく、身の程を知らない奴だ」
「たぶらかしたって……和馬さんはそんな人じゃないわ!か、楓の事を本当に大切に思ってて…」
「それがなんだ。君だって私と同じだろう?楓が和馬をたぶらかした…そう思っているはずだ」
「ち、違う!勝手な事を言わないでよ!」
口ではそうは言ってはいたが、桜の心は揺れはじめていた。初めて愛しいと思った人……和馬となんの努力もせず、自然に近づき恋仲になった楓。裏切られた、羨ましい妬ましいと思わないとは言えない。
…もし、彼が私と一緒に居てくれたら……。
そんな考えが顔に出ていたらしい。
間宮は嫌な笑みを浮かべ、カウンターに包みを置く。
「桜、お前の願いを叶えてやれるかもしれないぞ」
「え……?」
「たった今、利害が一致したからな。お前は和馬と一緒になりたい。私は楓が欲しい…そうだろ?」
「……………」
「私と手を組め。なに、難しい事はない。私の言う通りにすればいいだけだ」
間宮はそう言うと包みを開ける。そこには……白地に薄紅の桜の模様。
「これ、お花見の時に楓が着てた着物……どうして貴方が?」
「失敬したんだ。二日後……実行に移る。お前はこれを着て屋敷まで来るんだ」
「でもっ……屋敷には楓やおじ様が」
「楓は、私が屋敷から出す。お前は私の言う通りにすればいい」
「………何をするつもりなの………」
桜が恐る恐る聞くと、間宮は口角を吊り上げた。
「それはその時になってからのお楽しみだ。時間は……そうだな、夕刻にしよう」
「………分かったわ……」
間宮は桜の返事に満足し、店を出ていった。
気がつけばもう、店を閉める時間だった。桜は間宮が置いていった風呂敷を素早く仕舞い、店じまいを始めた。
桜はこの時、軽く考えていた。
自分が楓の影武者になり、ほかの男と逢瀬をして、それを和馬に見せて別れさせる………そんなあらすじを思い描いていた。
しかし、間宮が実行しようとしていた事は、とんでもなく恐ろしい事だったのだ。
あれから二日後の夕刻。桜は楓の屋敷に来ていた。もちろん、間宮が持ってきた楓の着物を着て。
間宮は、まだ来ていないようだった。
ため息を吐いたその時、
「ありがとう、和馬さん」
楓の声が聞こえた。桜は思わず側にあった電柱に隠れる。
「いや、引き止めてしまってすまない。すっかり暗くなってしまったな」
「いえ、楽しかったです。また、連れていってください」
「喜んで」
楽しげに笑い合う二人…。そんな二人を見ている桜の顔は、嫉妬に歪んでいた。あの二人は自分の知らない所で、知らない時間を共有している。
……なんで楓ばかり……
昔からそうだった。
楓の周りには沢山の男の子がいて、楓を我が物にしようと躍起になっている光景は日常茶飯事。その度に楓は桜に頼り、追い払ってもらっていた。おかげで桜は男子から疎まれていた。
楓の金魚のふん……引立て役………間宮に言われた事は、当時の桜が言われていた事だった。
だから余計に悔しかった。初対面だった間宮は、自分の何を分かったつもりなのか。まあ彼のこと、楓しか眼中にないのだろうが…。桜は自然と着物を握る。
ふと気がつくと、二人の姿はなかった。桜は屋敷の塀に寄り掛かり、間宮を待った。
数分たった頃、
―ガララ…ピシャン―
勢いよく引き戸が開かれる音がし、誰かが飛び出してきた。桜はまた電柱に隠れ、様子を伺う。
楓だった。離れているため、よくは見えないが、泣いているようだった。何があったのか…。桜が不思議に思っていると、背後からあの男の声がした。
「ふふ、上手く事が運んだようだ」
ばっと後ろを振り向くと、厭らしい笑みを浮かべた間宮がいた。桜は何も言わず間宮を睨みつけ、やはりこの男は嫌いだと再確認する。一方の間宮は桜の視線を鼻で笑って受け流し、短刀を桜に渡す。「?」と疑問に思っている桜に、間宮は恐ろしい事を言った。
「これで、屋敷の人間を殺してこい」
「………は?何言ってるの?」
すると間宮は、鬱陶しそうに桜を一瞥し、馬鹿にしたように笑いながら言った。
「ふん、今更怖じけづくのか?もう賽は投げられたんだ。………和馬がほしくないのか?」
「そ、れは。でも、やっぱりこんな事は……」
「利害は一致しているはずだ。私は和馬が邪魔。お前は楓が邪魔…だろう?邪魔なものは排除しなければなるまい」
くつくつと笑う間宮を見ていると気味が悪くなる。この男は楓を…欲しいものを手に入れるためならば殺しも厭わない。
なんて恐ろしい男なのだろう………。
しかし、その恐ろしい男に手を貸そうとしている自分は、もっと恐ろしいのだろう。そして、きっともう後戻りは出来ない状況だ。
桜は短刀を受取り、帯に挟むように隠す。すると、間宮が桜の横をすり抜け、屋敷に入って行った。
「私は悪くないわ……悪いのは…………貴女よ、楓」
桜の呟きは、夜空に昇った月しか聞いていなかった。
※グロ、流血や残酷描写あり。
間宮に、30分後に裏庭から屋敷に入るよう言われた桜は、裏庭の植え込みの中でその時を待っていた。手の震えが全身に回り、桜は手をぎゅっと握った。
自分はついに犯罪者になってしまうのか…なぜ間宮の口車に乗ってしまったのか……しかし、もうすでに不法侵入している時点で今更遅い。それよりも、先程の楓の様子が気になる。父親と喧嘩でもしたのだろうか。
…まあ、どうでもいいかと思っていたその時、
「きゃあああああああ」
するどい悲鳴が屋敷の2階の辺りから聞こえた。えっ?と屋敷の窓を見上げると、
「おぎゃあああ、おぎゃあああ、おぎゃ………」
今度は赤子の泣き声。なぜ赤ん坊の泣き声が?桜は疑問に思うと同時に嫌な予感がした。まだ10分も経っていないが、裏の勝手口から屋敷の中に入っていった。
しーんと静まり返った廊下を、2階に向かい走る。
しばらくさ迷っていると、中途半端に開けられた扉が目に入った。一瞬躊躇ったが意を決して中に入った。
「!!……な、これは。なんで………」
部屋の中は血まみれ、その血溜まりの中では一人の女性が倒れていた。桜はその女性を知っていた。
「か、香澄さん……」
都会に嫁入りしたはずの楓の姉、香澄だった。
横たわる香澄の向こう側には、月明かりに照らされたベビーベッド。桜は香澄を踏まないように気をつけながら近づき、覗き込んだ。
「!!!……うぅ……」
見た瞬間、あまりの無残さに吐き気が沸き上がる。
そこには、血だらけで事切れている赤ん坊。その血液は、真っ白であっただろうベッドの布団を真っ赤に染め上げていた。桜が口を押さえ、後ずさりをした途端、足首をガッと掴まれた。びくりとして、足元を見てみると、生気が薄れた恨めしげに見上げる目と目があった。
「な………んで……」
搾り出すような声に、背筋が凍る。そこにいる香澄はもう、以前の面影を残してはいなかった。桜が恐怖で固まっていると、香澄は力を振り絞り着物を掴んできた。白地の着物に赤い血が付いていく。
「なんで……あの子まで……赦さ……ない……楓……」
桜ははっとした。香澄は自分を楓と間違えている。このまま逃げてしまえば………。桜は縋り付いて来る香澄を振りほどき、素早くすり抜け部屋を飛び出した。
必死で走り、物置の中に逃げ込み呼吸を整える。誰があんな事を……などと考えても当てはまる人物は一人しかいない。
―間宮 秀志―
桜は、先程の光景を思い出し、体を震わせた。あの男は本気で、屋敷の中の人達を皆殺しにする気なのだ。彼がどんな結末を描いているのか……桜には恐ろし過ぎて考えられなかった。それよりも、受け取った短刀をどうすればいいのか…と懐を探る。
「あ、れ………ない」
帯に挟めてあったはずの短刀が無くなっていた。
「………落とした?でも、どこで………は!まさか……」
思いあたる場所………香澄の部屋しか思いつかない。おそらく、振り切った際に帯から落ちたのだろうか。途中の廊下かと思ったが、板張りの床に短刀のような重みのあるものが落ちれば、大きな音が鳴るだろうし、いくら無我夢中であっても気づくだろう。
まずいとは思ったが、またあの場所には戻りたくなかった。桜は間宮に厭味を言われる事を覚悟し、下の階に降りる事にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜が一階にたどり着くと、気味が悪いほどの静寂が辺りを包んでいた。なぜか胸騒ぎを感じ、早足で居間に向かう。すると、やはり閉じかけた扉。そっと開けてみた。が、真っ暗で何も見えない。回りを警戒しながら部屋に入ると、ゆっくりと歩く、とその時、
―ガッ……バタッ―
何かに足を引っ掛けてしまい、桜は倒れ込む。
「イタタ…なに?…………え?」
痛む足を摩りながら、引っ掛けてしまったものに目をやると、
「あ、………ああ……お、おじ様………」
そこには青白い月明かりの中、力無く横たわる楓の父親の姿が。桜は這いずるように近寄り、揺り起こす。
「おじ様、おじ様!!」
背中に手を回したとき、何か固い物が手に当たった。不思議に思い、何となく持ち上げた。と同時に、
―ズルズル…―
と、嫌な感触がしてビチャッと生暖かいものが顔にかかった。それがなんなのか理解した桜は凍りついた。
血塗られた短刀と自分の手。そして、白い着物に飛び散った赤い赤い斑点…
……もう限界だった。桜は素早く帯を外し、楓の着物を脱ぎ捨てると、下に着ていた自分の着物に帯をかけた。そして、何も声を発せぬまま居間を飛び出し、屋敷を抜け出した。
その直後だった。楓がなぜか和馬と共に帰ってきたのは。
………―
……―
「…そのあとどうなったんだ?」
「よくは…分からないわ。でも、翌朝の朝刊にあの事件の事が載ってて……楓が容疑者として逮捕状が出たって。その後、二人は別れたって聞いた………」
「聞いたって……間宮って男にか?」
桜はコクリと頷く。二人は思いがけず壮絶な真相に絶句した。
人が三人も死んだこの事件は、先程楓が見つけた記事のものに間違いはないだろう。楓が犯人になってしまったのはきっと、桜が、香澄の部屋に落とした短刀と、父親の部屋にあった血だらけの着物。特に後者は決定的だろう。
「和馬さんはどうなったの?」
なるみは俯いている桜に尋ねた。間宮という男が彼をおとしめようとしていたのなら、何かしらあった筈だ。桜は少し顔を上げる。
「…和馬さんは……楓と別れた後、徴兵されて……そのまま戦地で亡くなったわ。彼は最後まで楓の無実を訴えていたわ……」
「まさか…それが原因か?」
「たぶん…間宮は政財界や警察にも顔が利くから、和馬さんの徴兵を頼むのは簡単なはずよ。邪魔なものは除く………私に言っていた通りに」
間宮という人物の性格上、桜の言い分はあながち間違ってはいないだろう。ストイックで潔癖、さらに自己中心的…最悪な性質だ。では、楓は…どうなったのか。夕は桜に尋ねた。
「楓はどうなった?」
すると、桜は唇を噛み締め俯き呟いた。
「自殺…したの。逮捕される直前に。自ら短刀で喉を裂いて……」
「え……」
「………は?」
なるみと夕は驚きで言葉を失った。楓は死んだのだ。しかも自殺という方法で。でも、そうなると間宮の企ては失敗ということだ。結局、楓は自分のものになることは無くなったわけなのだから。二人の考えを察したのか桜が口を開く。
「間宮は、いつまでたっても自分に靡かない楓にイライラしていた。あの計画も、楓にすべて罪を着せて苦しめてやろうと考えたみたい。そうすれば、権力のある自分に縋ってくるはず………そう思ったのね。馬鹿な人…」
私も人の事言えないけど…と桜は自嘲気味に笑う。なるみは何も言えなかった。夕も言葉が見つからないらしく、押し黙り拳を握りしめている。しかし、二人の気持ちはただ一つだった。
―間宮を赦す訳にはいかない―
まだ、間宮がこの世界に関わっている手掛かりはない。しかし、桜が聞いた声や事件の現場を再現した屋敷内。そして、楓の居場所を探し回る和馬。間宮が関与しているならば、現場を再現できる筈だし、桜を唆する事も……和馬を楓の元に行かせないように邪魔する事も出来る。なるみは懐中時計を握りしめる。すると、桜が驚いたような顔を向ける。
「それは…」
「え?この懐中時計がどうかしたんですか?」
「……それは、楓が和馬さんへの贈り物として用意していた物よ。……結局渡せなかったのね…」
「贈り物…」
「事件の少し前に、和馬さんの誕生日にって…でもあんな事になっちゃったから…」
「安心して、桜さん」
なるみは桜を真っ直ぐ見つめる。
「私が必ず楓さんを助けて、楓さんの手から和馬さんに渡せるようにします。だから、もう自分を責めないでください。楓さんだってきっともう…」
「…っ、ありがとう……」
静かに涙を流す桜の顔は、穏やかだった。すると、今まで黙って見ていた夕が口を開いた。
「もう一つ、疑問があるんだけどよ。いいか?」
「?なに?」
「霧島里穂…あんたの生まれ変わりだけど、俺達みたいに前世の記憶が無いみたいなんだよ。どうしてかわかるか?」
夕の言葉に桜はふわりと微笑み、自分の胸に手を当てた。
「…また、楓の親友になりたかったの。生まれ変わる事が出来たら、楓の生まれ変わりと出会う事ができたら……今度こそ本当の親友になりたいって。だから、この記憶も罪も私が引き受けたの。里穂にはなんの罪もないのだから、ね」
「さ、桜さん…」
暖かい真っ直ぐな思い。
やはり桜は優し過ぎる。里穂に記憶が蘇り罪が及ばないようにすべてを自分に封じ込めた結果、一部の魂がこの迷宮に囚われたまま、さ迷いながら負の感情を膨らませ続けていたのだ。
すると、次第に桜の体が光りだす。
「あ、そろそろ時間みたいね…」
「桜さん…」
「お友達、元の時間に還すわね……なるみさん、里穂の事よろしくね………」
「桜さん!!」
すると、まばゆい光りが桜を包み次第に消えていった。そしてそこには一つの古びた鍵があった。
「鍵……桜さん…」
「間宮に通じる何かが見つかるかもな」
「……行こう。間宮に会わないと」
「ああ!!行こうぜ!!」
なるみと夕は頷きあい部屋を出た。
二人が出ていった部屋の闇の中に人影が現れる
『やれやれ…桜の奴、やっぱり役立たずだな……。来るがいい…高見沢なるみ、羽山夕……お前たちの絆、ずたずたに切り裂いてやろう……あの二人のように…な…』
その人影は、不敵に笑い再び闇の中に溶け込むように消えていった。
「あの日、私はいつものように一人で店番をしていたわ…」
………―
…――
「御免ください」
あるどんよりと曇った昼下がり、桜が店番をしていると、身なりのよい一人の男が訪ねてきた。
「はい、いらっしゃいませ!」
仕込みをしていた桜は、慌てて前掛けを外しながら店に出ると、男は被っていた帽子を脱ぎ一礼した。
「初めまして。私は間宮秀志と言います。楓さんの…婚約者です」
「え?婚約者…?」
「はい」
「(婚約者って初めて聞いたわ。楓、今までそんな事言ってなかったのに…)はあ、そうですか…それで、その婚約者の方がなんのご用でしょうか?」
貼付けたような笑顔を浮かべる間宮に、若干嫌な感じを覚えた桜は、少しきつい口調で用件を尋ねた。すると間宮はニヤリと笑い、桜の元に近付いてきた。
「……客にその態度はないだろう?やはり楓の金魚のフンだな」
「はあ?!貴方こそ、初対面の女性に対して失礼じゃない?本当に楓の婚約者なの?疑わしいわね!!」
元来、勝ち気で思った事をずばり言ってしまう性格の桜。間宮のあまりにも不愉快な言動に、声を荒げ抗議する。しかし、間宮やニヤニヤと厭らしい笑顔を浮かべながら、桜を馬鹿にしたように鼻で笑う。
「はっ!まったく、教養のなっていない小娘だな!楓もなんでこんな小汚い小娘と親友でいるのか……考えた事はあるかい?」
「な、なに言って…」
「ハッキリ言おうか?お前は楓の引き立て役に過ぎないのだよ」
「な!そんな事…!!」
「ない、とは言い切れないだろう?元に君は羽山和馬を楓に奪われた。違うか?」
「え……?なんで、なんで和馬さんの事……」
心の奥底で感じていたもの。自分は楓の引き立て役なのでは。だから傍に親友として置いているのではないか。
今までは、あくまでも思い込みだと桜は気にしてはいなかったが、第三者である間宮に言われ心が揺らぐ。もしかして、まさか、でも……桜は心で自問自答を繰り返す。
でも、それよりも……
「なんで、なんで和馬さんの事を知ってるのよ」
「ふん……あの男が楓をたぶらかしたのでね。まったく、身の程を知らない奴だ」
「たぶらかしたって……和馬さんはそんな人じゃないわ!か、楓の事を本当に大切に思ってて…」
「それがなんだ。君だって私と同じだろう?楓が和馬をたぶらかした…そう思っているはずだ」
「ち、違う!勝手な事を言わないでよ!」
口ではそうは言ってはいたが、桜の心は揺れはじめていた。初めて愛しいと思った人……和馬となんの努力もせず、自然に近づき恋仲になった楓。裏切られた、羨ましい妬ましいと思わないとは言えない。
…もし、彼が私と一緒に居てくれたら……。
そんな考えが顔に出ていたらしい。
間宮は嫌な笑みを浮かべ、カウンターに包みを置く。
「桜、お前の願いを叶えてやれるかもしれないぞ」
「え……?」
「たった今、利害が一致したからな。お前は和馬と一緒になりたい。私は楓が欲しい…そうだろ?」
「……………」
「私と手を組め。なに、難しい事はない。私の言う通りにすればいいだけだ」
間宮はそう言うと包みを開ける。そこには……白地に薄紅の桜の模様。
「これ、お花見の時に楓が着てた着物……どうして貴方が?」
「失敬したんだ。二日後……実行に移る。お前はこれを着て屋敷まで来るんだ」
「でもっ……屋敷には楓やおじ様が」
「楓は、私が屋敷から出す。お前は私の言う通りにすればいい」
「………何をするつもりなの………」
桜が恐る恐る聞くと、間宮は口角を吊り上げた。
「それはその時になってからのお楽しみだ。時間は……そうだな、夕刻にしよう」
「………分かったわ……」
間宮は桜の返事に満足し、店を出ていった。
気がつけばもう、店を閉める時間だった。桜は間宮が置いていった風呂敷を素早く仕舞い、店じまいを始めた。
桜はこの時、軽く考えていた。
自分が楓の影武者になり、ほかの男と逢瀬をして、それを和馬に見せて別れさせる………そんなあらすじを思い描いていた。
しかし、間宮が実行しようとしていた事は、とんでもなく恐ろしい事だったのだ。
あれから二日後の夕刻。桜は楓の屋敷に来ていた。もちろん、間宮が持ってきた楓の着物を着て。
間宮は、まだ来ていないようだった。
ため息を吐いたその時、
「ありがとう、和馬さん」
楓の声が聞こえた。桜は思わず側にあった電柱に隠れる。
「いや、引き止めてしまってすまない。すっかり暗くなってしまったな」
「いえ、楽しかったです。また、連れていってください」
「喜んで」
楽しげに笑い合う二人…。そんな二人を見ている桜の顔は、嫉妬に歪んでいた。あの二人は自分の知らない所で、知らない時間を共有している。
……なんで楓ばかり……
昔からそうだった。
楓の周りには沢山の男の子がいて、楓を我が物にしようと躍起になっている光景は日常茶飯事。その度に楓は桜に頼り、追い払ってもらっていた。おかげで桜は男子から疎まれていた。
楓の金魚のふん……引立て役………間宮に言われた事は、当時の桜が言われていた事だった。
だから余計に悔しかった。初対面だった間宮は、自分の何を分かったつもりなのか。まあ彼のこと、楓しか眼中にないのだろうが…。桜は自然と着物を握る。
ふと気がつくと、二人の姿はなかった。桜は屋敷の塀に寄り掛かり、間宮を待った。
数分たった頃、
―ガララ…ピシャン―
勢いよく引き戸が開かれる音がし、誰かが飛び出してきた。桜はまた電柱に隠れ、様子を伺う。
楓だった。離れているため、よくは見えないが、泣いているようだった。何があったのか…。桜が不思議に思っていると、背後からあの男の声がした。
「ふふ、上手く事が運んだようだ」
ばっと後ろを振り向くと、厭らしい笑みを浮かべた間宮がいた。桜は何も言わず間宮を睨みつけ、やはりこの男は嫌いだと再確認する。一方の間宮は桜の視線を鼻で笑って受け流し、短刀を桜に渡す。「?」と疑問に思っている桜に、間宮は恐ろしい事を言った。
「これで、屋敷の人間を殺してこい」
「………は?何言ってるの?」
すると間宮は、鬱陶しそうに桜を一瞥し、馬鹿にしたように笑いながら言った。
「ふん、今更怖じけづくのか?もう賽は投げられたんだ。………和馬がほしくないのか?」
「そ、れは。でも、やっぱりこんな事は……」
「利害は一致しているはずだ。私は和馬が邪魔。お前は楓が邪魔…だろう?邪魔なものは排除しなければなるまい」
くつくつと笑う間宮を見ていると気味が悪くなる。この男は楓を…欲しいものを手に入れるためならば殺しも厭わない。
なんて恐ろしい男なのだろう………。
しかし、その恐ろしい男に手を貸そうとしている自分は、もっと恐ろしいのだろう。そして、きっともう後戻りは出来ない状況だ。
桜は短刀を受取り、帯に挟むように隠す。すると、間宮が桜の横をすり抜け、屋敷に入って行った。
「私は悪くないわ……悪いのは…………貴女よ、楓」
桜の呟きは、夜空に昇った月しか聞いていなかった。
※グロ、流血や残酷描写あり。
間宮に、30分後に裏庭から屋敷に入るよう言われた桜は、裏庭の植え込みの中でその時を待っていた。手の震えが全身に回り、桜は手をぎゅっと握った。
自分はついに犯罪者になってしまうのか…なぜ間宮の口車に乗ってしまったのか……しかし、もうすでに不法侵入している時点で今更遅い。それよりも、先程の楓の様子が気になる。父親と喧嘩でもしたのだろうか。
…まあ、どうでもいいかと思っていたその時、
「きゃあああああああ」
するどい悲鳴が屋敷の2階の辺りから聞こえた。えっ?と屋敷の窓を見上げると、
「おぎゃあああ、おぎゃあああ、おぎゃ………」
今度は赤子の泣き声。なぜ赤ん坊の泣き声が?桜は疑問に思うと同時に嫌な予感がした。まだ10分も経っていないが、裏の勝手口から屋敷の中に入っていった。
しーんと静まり返った廊下を、2階に向かい走る。
しばらくさ迷っていると、中途半端に開けられた扉が目に入った。一瞬躊躇ったが意を決して中に入った。
「!!……な、これは。なんで………」
部屋の中は血まみれ、その血溜まりの中では一人の女性が倒れていた。桜はその女性を知っていた。
「か、香澄さん……」
都会に嫁入りしたはずの楓の姉、香澄だった。
横たわる香澄の向こう側には、月明かりに照らされたベビーベッド。桜は香澄を踏まないように気をつけながら近づき、覗き込んだ。
「!!!……うぅ……」
見た瞬間、あまりの無残さに吐き気が沸き上がる。
そこには、血だらけで事切れている赤ん坊。その血液は、真っ白であっただろうベッドの布団を真っ赤に染め上げていた。桜が口を押さえ、後ずさりをした途端、足首をガッと掴まれた。びくりとして、足元を見てみると、生気が薄れた恨めしげに見上げる目と目があった。
「な………んで……」
搾り出すような声に、背筋が凍る。そこにいる香澄はもう、以前の面影を残してはいなかった。桜が恐怖で固まっていると、香澄は力を振り絞り着物を掴んできた。白地の着物に赤い血が付いていく。
「なんで……あの子まで……赦さ……ない……楓……」
桜ははっとした。香澄は自分を楓と間違えている。このまま逃げてしまえば………。桜は縋り付いて来る香澄を振りほどき、素早くすり抜け部屋を飛び出した。
必死で走り、物置の中に逃げ込み呼吸を整える。誰があんな事を……などと考えても当てはまる人物は一人しかいない。
―間宮 秀志―
桜は、先程の光景を思い出し、体を震わせた。あの男は本気で、屋敷の中の人達を皆殺しにする気なのだ。彼がどんな結末を描いているのか……桜には恐ろし過ぎて考えられなかった。それよりも、受け取った短刀をどうすればいいのか…と懐を探る。
「あ、れ………ない」
帯に挟めてあったはずの短刀が無くなっていた。
「………落とした?でも、どこで………は!まさか……」
思いあたる場所………香澄の部屋しか思いつかない。おそらく、振り切った際に帯から落ちたのだろうか。途中の廊下かと思ったが、板張りの床に短刀のような重みのあるものが落ちれば、大きな音が鳴るだろうし、いくら無我夢中であっても気づくだろう。
まずいとは思ったが、またあの場所には戻りたくなかった。桜は間宮に厭味を言われる事を覚悟し、下の階に降りる事にした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
桜が一階にたどり着くと、気味が悪いほどの静寂が辺りを包んでいた。なぜか胸騒ぎを感じ、早足で居間に向かう。すると、やはり閉じかけた扉。そっと開けてみた。が、真っ暗で何も見えない。回りを警戒しながら部屋に入ると、ゆっくりと歩く、とその時、
―ガッ……バタッ―
何かに足を引っ掛けてしまい、桜は倒れ込む。
「イタタ…なに?…………え?」
痛む足を摩りながら、引っ掛けてしまったものに目をやると、
「あ、………ああ……お、おじ様………」
そこには青白い月明かりの中、力無く横たわる楓の父親の姿が。桜は這いずるように近寄り、揺り起こす。
「おじ様、おじ様!!」
背中に手を回したとき、何か固い物が手に当たった。不思議に思い、何となく持ち上げた。と同時に、
―ズルズル…―
と、嫌な感触がしてビチャッと生暖かいものが顔にかかった。それがなんなのか理解した桜は凍りついた。
血塗られた短刀と自分の手。そして、白い着物に飛び散った赤い赤い斑点…
……もう限界だった。桜は素早く帯を外し、楓の着物を脱ぎ捨てると、下に着ていた自分の着物に帯をかけた。そして、何も声を発せぬまま居間を飛び出し、屋敷を抜け出した。
その直後だった。楓がなぜか和馬と共に帰ってきたのは。
………―
……―
「…そのあとどうなったんだ?」
「よくは…分からないわ。でも、翌朝の朝刊にあの事件の事が載ってて……楓が容疑者として逮捕状が出たって。その後、二人は別れたって聞いた………」
「聞いたって……間宮って男にか?」
桜はコクリと頷く。二人は思いがけず壮絶な真相に絶句した。
人が三人も死んだこの事件は、先程楓が見つけた記事のものに間違いはないだろう。楓が犯人になってしまったのはきっと、桜が、香澄の部屋に落とした短刀と、父親の部屋にあった血だらけの着物。特に後者は決定的だろう。
「和馬さんはどうなったの?」
なるみは俯いている桜に尋ねた。間宮という男が彼をおとしめようとしていたのなら、何かしらあった筈だ。桜は少し顔を上げる。
「…和馬さんは……楓と別れた後、徴兵されて……そのまま戦地で亡くなったわ。彼は最後まで楓の無実を訴えていたわ……」
「まさか…それが原因か?」
「たぶん…間宮は政財界や警察にも顔が利くから、和馬さんの徴兵を頼むのは簡単なはずよ。邪魔なものは除く………私に言っていた通りに」
間宮という人物の性格上、桜の言い分はあながち間違ってはいないだろう。ストイックで潔癖、さらに自己中心的…最悪な性質だ。では、楓は…どうなったのか。夕は桜に尋ねた。
「楓はどうなった?」
すると、桜は唇を噛み締め俯き呟いた。
「自殺…したの。逮捕される直前に。自ら短刀で喉を裂いて……」
「え……」
「………は?」
なるみと夕は驚きで言葉を失った。楓は死んだのだ。しかも自殺という方法で。でも、そうなると間宮の企ては失敗ということだ。結局、楓は自分のものになることは無くなったわけなのだから。二人の考えを察したのか桜が口を開く。
「間宮は、いつまでたっても自分に靡かない楓にイライラしていた。あの計画も、楓にすべて罪を着せて苦しめてやろうと考えたみたい。そうすれば、権力のある自分に縋ってくるはず………そう思ったのね。馬鹿な人…」
私も人の事言えないけど…と桜は自嘲気味に笑う。なるみは何も言えなかった。夕も言葉が見つからないらしく、押し黙り拳を握りしめている。しかし、二人の気持ちはただ一つだった。
―間宮を赦す訳にはいかない―
まだ、間宮がこの世界に関わっている手掛かりはない。しかし、桜が聞いた声や事件の現場を再現した屋敷内。そして、楓の居場所を探し回る和馬。間宮が関与しているならば、現場を再現できる筈だし、桜を唆する事も……和馬を楓の元に行かせないように邪魔する事も出来る。なるみは懐中時計を握りしめる。すると、桜が驚いたような顔を向ける。
「それは…」
「え?この懐中時計がどうかしたんですか?」
「……それは、楓が和馬さんへの贈り物として用意していた物よ。……結局渡せなかったのね…」
「贈り物…」
「事件の少し前に、和馬さんの誕生日にって…でもあんな事になっちゃったから…」
「安心して、桜さん」
なるみは桜を真っ直ぐ見つめる。
「私が必ず楓さんを助けて、楓さんの手から和馬さんに渡せるようにします。だから、もう自分を責めないでください。楓さんだってきっともう…」
「…っ、ありがとう……」
静かに涙を流す桜の顔は、穏やかだった。すると、今まで黙って見ていた夕が口を開いた。
「もう一つ、疑問があるんだけどよ。いいか?」
「?なに?」
「霧島里穂…あんたの生まれ変わりだけど、俺達みたいに前世の記憶が無いみたいなんだよ。どうしてかわかるか?」
夕の言葉に桜はふわりと微笑み、自分の胸に手を当てた。
「…また、楓の親友になりたかったの。生まれ変わる事が出来たら、楓の生まれ変わりと出会う事ができたら……今度こそ本当の親友になりたいって。だから、この記憶も罪も私が引き受けたの。里穂にはなんの罪もないのだから、ね」
「さ、桜さん…」
暖かい真っ直ぐな思い。
やはり桜は優し過ぎる。里穂に記憶が蘇り罪が及ばないようにすべてを自分に封じ込めた結果、一部の魂がこの迷宮に囚われたまま、さ迷いながら負の感情を膨らませ続けていたのだ。
すると、次第に桜の体が光りだす。
「あ、そろそろ時間みたいね…」
「桜さん…」
「お友達、元の時間に還すわね……なるみさん、里穂の事よろしくね………」
「桜さん!!」
すると、まばゆい光りが桜を包み次第に消えていった。そしてそこには一つの古びた鍵があった。
「鍵……桜さん…」
「間宮に通じる何かが見つかるかもな」
「……行こう。間宮に会わないと」
「ああ!!行こうぜ!!」
なるみと夕は頷きあい部屋を出た。
二人が出ていった部屋の闇の中に人影が現れる
『やれやれ…桜の奴、やっぱり役立たずだな……。来るがいい…高見沢なるみ、羽山夕……お前たちの絆、ずたずたに切り裂いてやろう……あの二人のように…な…』
その人影は、不敵に笑い再び闇の中に溶け込むように消えていった。
第八話《完》
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