間宮秀志




『楓さん、やっと逢えた…』


和馬はそう言うと楓に歩み寄る。なるみと夕は少し離れ、様子を伺った。



『和馬…さん……私、私…』
『何も…言わなくていい。君が一番辛い時に側に行けなくて済まなかった』
『……私、不安だった。貴方にまで見捨てられたのかと……少しでも貴方を疑ってしまったわ…ごめんなさい』

涙を流しながら謝罪する楓を和馬は優しく抱きしめる。百年待ち望んでいた彼の温もりを手繰り寄せるように、楓は和馬の背に手を回す。

「なんか、いい感じに収まったな」
「うん。良かった……」

なるみと夕は微笑み、顔を見合わせる。これでもう、楓と和馬は迷宮から解放される。しかし次の瞬間、

『あ………あ……頭……頭が!!』


いやあああああぁ


楓は突然悲鳴を上げ倒れ込む。和馬は彼女を抱き起こそうとしたが、彼女を取り巻くように黒い霧のようなものが和馬の腕を切り裂く。

『く……楓さん!!』
「和馬さん!!…一体何が……」
「待て。この状況……あの時と似てないか?」
「……!!桜さんの時?!まさか………間宮…秀志…」
「あの野郎……楓と和馬の和解を邪魔する気だ」
「そんな……やっと……やっと逢えたのに……!!」

二人が和馬に駆け寄ると、地の底から響くような声がした。



『ふふ…馬鹿な奴らだよ。楓はもう私の物なのだ。心も体もすべて……ふははは……はははは!!!』

「くっ!!間宮だな?てめぇ、舐めた真似しやがって!!姿を現せ!!」
「楓さんをどうする気なの!?」

夕となるみの問いに間宮は嘲笑う。


『ふん…小賢しいガキが。貴様らのような小物など、残留思念で十分だろう。楓は私と共にこの迷宮で過ごすのだ。やっと手に入れたのだ………手放してなるものか!!』


自分本意で他者を無視し、楓の気持ちすら操る身勝手な間宮に、なるみの怒りはピークに達した。

「………ふざけないで。楓さんは貴方のもの?そんなの貴方の勝手な言い分じゃない!」

初めて見る、なるみの怒りに夕は目を見開く。いつも穏やかで優しい雰囲気を醸し出す彼女の意外な顔。

(へぇ……言うじゃんか…)

確かに驚きはしたが、幻滅はしない。寧ろ頼もしく感じた。
それを証拠に、なるみの言葉は間宮の動揺を誘ったようだった。

『なにを……小娘が!!楓は私の妻になる女だったのだ。楓も本当は、どこの馬の骨かも解らんみすぼらしい軍人より、家柄も教養もある私のほうがいいに決まっているだろう!!』
「本気でそう思ってる?ならなぜ、結婚を断られたの?和馬さんのせい?違うわ。楓さんは……貴方が大嫌いだからよ!」
『な……!!』

痛いところを点かれたのか、間宮は言葉を失う。なるみはそんな間宮に、さらに追い撃ちをかける。

「貴方、自分が楓さんになにをしたのか覚えてるの?彼女の家族を殺して、和馬さんを戦死させて、桜さんを騙して傷つけて……その上その罪をすべて楓さんになすりつけて………」
「なるみ……」
『なるみさん……』

夕と和馬はなんとも言えない顔でなるみを見守る。

「そんな最低な事をしておいて、一緒に居させようなんてむしが良すぎるわ…………楓さんは投獄されて拷問を受けても、貴方に助けは求めなかったわ。なぜだか分かるでしょう?貴方がいくら小細工を仕掛けても、術にかけて記憶を操作し心を奪おうとしても、その人の本心までは奪えない。楓さんが愛しているのは貴方じゃない。和馬さんただ一人よ!!たとえ生まれ変わっても…………貴方を愛する事は金輪際ないわ!!」

言いたい事はすべて言った。一瞬満足げな表情を見せた。それを見た夕はニヤリと笑って親指を立てる。と、その時…ふと、気配を感じ、なるみと夕は和馬を庇うように武器を構える。

楓に取り付いていた黒い霧が次第に盛り上がり、人の形を作り出す。そこには………

「ついに出てきやがった…待ちくたびれたぜ」
「間宮…秀志!!」

薄ら笑いを浮かべた、迷宮を作り出した張本人、


間宮秀志が立っていた。


―――…
――…
―…



楓は河原にいた。目は泣き腫らし、真っ赤になっている。こんな姿を誰にも見られたくなく、橋のたもとまで行き座り込む。

ショックだった…。いつも優しい父が、和馬をあんな風に言うなんて…。

「会ってはならん」

その言葉が楓の心の中をえぐり、ぐちゃぐちゃにしていく。

ただ好きなだけなのに…
一緒に居たいだけなのに…
逢瀬をしていると言っても、芝居見物に行ったり買い物に行くくらいで、父に言われるほどやましい事などない。
何がどうなってこんな事になったのか……。今の楓には何も解らなかった。

「和馬さん……逢いたい」

勝手に口をついて出てきた彼の名。このまま一人でいたら潰れそうで……と、その時、

「楓……さん?何してるんだい?こんな所で……」
「!!………あ…」

楓は思わず肩を震わせるが、その声が今一番逢いたかった人の声だと気付き、振り返る。
すると、そこには驚いた顔の和馬が立っていた。

「家に帰ったんじゃなかったのかい?……!!どうした?!」

和馬はすぐ楓の異変に気づいた。駆け寄りしゃがみ込み、楓の顔を覗き込む。

「泣いて……いたのか?」
「え!?……あ、これはその……////」
「目が真っ赤になってるな……!ちょっと待っててくれ」

和馬は上着のポケットからハンカチを取り出し、川の袂まで行き、綺麗に透き通った冷たい水にハンカチを浸し絞る。そしてそれを楓に差し出した。

「少し冷やしたほうがいいよ。そのままで帰ったら君のお父様が心配する」
「////あ、ありがとう。和馬さん……」

楓は頬をほんのり染めながら、ハンカチを受け取り、ほてった目に当てる。

しばらく二人は何も言わず、静かな川の流れを見ていたが、ふと、和馬が話を切り出した。

「一体どうしたんだい?お父様と喧嘩でもした?」
「……私たちの事、許してくれないみたい。もう……逢うなって言われて。私、悲しくて思わず家を飛び出しちゃったの」
「そうか…」
「私達、何も疚しい事なんてしてない。ただ一緒に居たい。好きなだけなのに………」
「…………」
「私達、もう終わりなの?」
「………楓さん……」

もう逢えないというのはかなり堪えるが、何よりも和馬を否定された事が悲しくて。」
楓はまたジワリときて、俯いた。和馬は何も言わず楓に寄り添う。

「私、そんなの嫌。和馬さんと一緒にいたいの。…………愛しているから」
「楓さん………俺も君と同じ気持ちだよ。君の隣に居れないなんて堪えられない。………楓さん、お父様にちゃんと話をしよう」
「で、でも……もし和馬さんに何かあったら……私…」
「俺なら何を言われても大丈夫だ。必ず疑いを晴らして、交際を許してもらおう」
「和馬さん……」
「さ、暗くならない内に帰ろう」
「……はい」

和馬が差し出した手を、楓はごく自然に繋ぐ。手から伝わる温もりが、『大丈夫だ』と言ってくれているようで、安心している自分がいる。やはり、自分にとって彼は大切で必要な存在なのだと思い知る。二人は夕暮れ迫る町を手を繋ぎ、楓の屋敷へと歩いた。

…この時の二人は気付いていなかった。想像すらしていない恐ろしく悲しい運命へと足を踏み込んでしまっている事を……。


――――――…
――――…
――…


「ただいま帰りました。…………お父様?お姉様?」

すっかり夜の帳が降りた頃、二人は屋敷に辿り着いた。楓が玄関の引き戸を開け、声を掛けるが返事がない。父はまだ怒っているのだろうか。しかし、それにしても静か過ぎた。

「どうしたのかしら。何か………やけに静かだわ…」
「お父様の他には誰かいないのかい?」
「姉が……香澄姉様がいらっしゃるはずだけど。もう寝てしまったのかしら」
「…………入ってみよう。何か胸騒ぎがする…」
「和馬さん?」

和馬は楓に目配せすると、玄関を上がって行った。それを楓も慌てて追い掛ける。シーンと静まりかえる廊下を二人は歩いていく。月明かりだけが二人を照らし、不気味な雰囲気を醸し出している。居間の前に辿り付くと、扉が少し開いている事に二人は気付いた。

「開いてる………。でも中は暗いな」
「和馬さん……怖いわ…」
「大丈夫。俺が先に入る。君は俺の後ろに付いてきてくれ」
「ええ……」

二人は扉を開き、暗闇が広がる室内に入る。楓は和馬の背中に付き上着を握る。しばらく進んだ所で、足元に何かがあることに気付き、ふと和馬が足を止める。屈み込み、手に取ったそれを見た二人は驚愕した。

「これ……は、私の着物………なんでこんな所に…」
「ん?着物に何か付いて…………!これは……血だ」
「え!?」

白地に桜がちりばめられた着物に、べっとりと付いた

赤い紅い血………



「あ………いや………」
「落ち着いて!他には何か………ん?誰か倒れているぞ!」

和馬がその人物に駆け寄ると息を呑んだ。そこに横たわる人物は………

すでに事切れた楓の父の姿だった。


「お、お父様……?お父様!!お父様!!……あ……あ…あ………いやあああああ!!

楓は真っ青になり叫ぶ。和馬も言葉を失い、ただその亡きがらを見つめる。
と、その時、


―ガラガラ…―

扉を開く音がし、二人は弾かれたように振り返る。

そこには……


「あーあ、ついにやってしまったか………羽山和馬」


不気味な薄笑いを浮かべている………


間宮秀志
だった……


…俺は呪った、無力な自分を………。

君は俺を庇い、すべての罪を自分にかした。

君は言った。


「和馬さんまで失いたくないから………」


優しくも悲しそうな顔。
役人に連れて行かれる前日、桜さんも居た。何か言いたげな…なんとも言えない表情で……。そんな彼女に、君は泣きながら微笑み言った………。


「私……桜の事、怨んでない。……今まで、傷つけてたのね……。ごめんなさい…」


……彼女は気付いていたんだ。桜さんがした事を。そして、間宮が桜さんを利用していた事も。なぜ、どこで知ったのか……。
俺は聞く事が出来なかった。

なぜなら俺はその直後、徴兵されて見知らぬ土地に飛ばされ、死んだ。
二度とこの町に帰ってくる事はなかった。

………その事は彼女は知らない。だから、おそらく俺が自分を見放してしまったと思い込んでしまったのだろう。


ただただ、好きで一緒に居たくて……それさえも許されないこんな時代。
もっと違う時代に出会っていれば、幸せになれただろうか………。


体を失い、魂だけとなった俺は彼女を探した。共に行くべき場所へ行くために……。
探し続けた結果、最後にたどり着いたのがこの迷宮だった。でも、なぜか確信はあった。
間違いなく、君はここに居る……と。

でも、いくら探せど君は見つからない。まるで何かに隠されているかのように……。いや、君はきっと俺を許していないのだろう。
まだ、誤解は解けていない。
解かなければ……もう時間がない。それに渡したいものもある。


……逢いたい。君の目を見て話をしたい……

そんな時、あの子達が迷宮に迷い込んだ。

君にそっくりな少女と、
俺にそっくりな青年。

この子達なら、君を探し出してくれる………確信があった。

そして………百年の時を越え、やっと再会する事が出来たんだ。

今度こそ君を護る。

たとえ何が邪魔をしても、俺は君を離さない。

だから………

もう一度…………


俺を信じてほしい………








































第十話《完》

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