いよいよ祭が始まった。

さあ……


開幕だ!



《開幕》




―8/1…祭当日。キノは、最低限の荷物を鞄に詰め、家を後にした。
まだ夜明け前なので外は薄暗い。祭の開始時間はAM6:00。それまでに集合場所に行かなければならないのだ。
原則として祭中、我が家には入れない。(警備が着くらしい)忘れ物がないか入念にチェックし、キノは鞄を肩に掛ける。家族は昨日の内に、祖母の家に行った。
誰もいないシーンと静まり返った我が家を一瞥し、キノは集合場所に向かい歩いて行った。


………―


「あ、キノ!!キノ!!こっちこっち!!」


集合場所である、市民公園に着くと、キノを見つけたハナが、ブンブン両手を振りながら飛び跳ねていた。ハナの近くにはモモとユカもいる。二人もキノがちゃんと来た事に安堵しているようだった。


「おはようキノ」

「……おはよ…」

「良かった……逃げられたらどうしようかと思ったわ」

「………」

「ねぇ……キノ、自信の程は?」

「……ノーコメント…」

「そう……ま、頑張りましょ。お互い……」

「……………」


キノは、ユカと言葉を交わしながら、彼女の雰囲気に違和感を覚える。うまく言えないが、なんだかいつもより攻撃的というか、挑発的というか……。
そんな事を考えていると、ハナとモモが二人に近寄ってきた。


「二人とも……どうかした?」


キノとユカの異様な雰囲気に、ハナが心配そうに声を掛ける。モモも考えていることは同じようで、ハナの後ろに隠れるようにして、様子を伺っている。


「ふふ…なんでもないわよ。あ、私、受付済ませてくるわね」


ユカはハナとモモにニコリと笑いかけると、キノをチラリと見てから受付けに向かって歩いていった。


「…キノ、喧嘩でもした?」

佇み、ユカの後ろ姿を見つめていたキノに、ハナが声を掛ける。


「……別に。いつもあんな感じでしょ……」

「で、でもさ……」

「ほら、私たちもいくよ」

「………うん」


ハナはなんとも言えない顔で、キノの後ろ姿を見つめる。
……じつは、ハナはだいぶ前から、ユカのキノに対する態度が変わったのに気付いていた。最初は喧嘩でもしてるのかと、軽く考えていたが、祭が近づくにつれ、その違和感は大きくなっていった。……そして見てしまったのだ。昨日、打ち合わせの時に、キノを凍るような目で見つめていたユカを………。見てしまったものの、いくらハナと言えど空気は読める。その場では何も言えなかった。


「大丈夫なのかな…祭…」


ポソリと呟くハナ。その後ろでモモが呟いた。


「ユカ……なんだか怖い……」


モモの呟きにハナは何も言えず黙り込み、モモの手を握りキノの後を小走りに追った。


この時感じた違和感が形となって現れるのは、ずっと後の事だった………。




―一方、追跡側が集まる中央広場―


逃走側が4人に対し、かなりの人数がひしめきあっている。ざっと100人は居るだろうか。つまりキノ達は、この100人から一ヶ月逃げ延びなければならないのだ。毎年、勝利を納めてきたのは追跡側。今年もそうなるだろうと、ここにいる誰もが予想していた…のだが、


「はあ?クロがこっちに来ない?どういうことだよ!!」

「さあ、俺にも詳しくは……。でも、あいつの事だから何か考えがあっての事だろう…」


突然、大声を上げた男に対して、長い髪を緩く纏めた、穏やかな雰囲気を醸し出す青年が、事もなげに答える。彼はスズ。祭の常連で、毎年追跡側に参加している。


「ちっ!!『策士』がいなけりゃ負けちまうかもしれねぇじゃねぇか!!なんで無理にでも引っ張って来ねぇんだよ!!」

先ほどの男が、イライラしたように、スズをなじる。しかし、スズは涼しい顔で交わす。


「少しは自分でなんとかしようとしてみたらどうだ?いつまでも、クロにおんぶに抱っこじゃ、あいつだって嫌になるさ……」


クロ……スズの親友で、同じく祭の常連。高い身長、かなりガッシリした体つき、甘いマスク……おまけに人当たりがよく人気者。しかし、彼の目下の興味は異性ではなく『祭』。毎年、逃走側の心理の裏の裏をかき、確実に追い詰める作戦を考じることから『策士』と言われている。最初こそ彼は『祭』に参加することを楽しんでいた。追跡側になっていたのは、自分の今まで培ってきた知識を試したいが故。しかし、ふと周りを見回してみれば、勝利に固執し、逃走側をいたぶる事を楽しんでいる者ばかり。しかもクロにすべてを押し付け、自分達はすき放題にしていた。逃走側が毎年、大怪我をしているのは、捕縛したあとに仲間の居場所を吐かせるため、拷問と称したリンチをしていたからなのだ。純粋に『祭』を楽しんでいた彼が、それを知り、呆れ果てやる気をなくすのは、当然だった。

「あんたたちが、考えを改めない限り、戻ってこないさ……あいつは」

「はあ?なに訳分かんねぇ事言ってやがる!!敗者が勝者に服従するのは当然だろう?」

スズの胸倉を掴み、凄みを効かせる男。しかし、スズはしばらく冷たく見つめた後、ふと視線を反らした。

「………ムリそうだな……。諦めろ…」


それだけ言うと、男の手を振りほどき、背を向ける。そして、なにやら後ろで喚いている男を無視し、受け付けに向かい歩いていく。


『スズ、俺、今年は追跡側外れるよ』

『クロ?……そうか。お前が決めたのなら何も言えない。てことは、逃走側に行くのか?』

『いや、逃走側はもう決まってるらしいから、中立としてゲームに参加するよ。逃走側にも興味あるしね。……スズ、お前はどうする?』

『俺は例年通り、追跡側に付くよ。今年は離反が可能みたいだから、様子をみながら楽しむさ』

『そ、か……じゃ、お互い楽しもうぜ!』

『ああ…』


スズは、昨日のクロとの会話を思い出す。噂によると、逃走側は女子高生4人。もしかしたら、クロはそのことを知って中立になったのかもしれない。あいつらの事、もし捕縛されでもしたら、何をされるか分からない。だからと言って手を抜くような事は、クロの性格上ムリ。自分が外れれば、短期間で勝つことは困難になり、あいつらもイライラしてくる。短気な奴らが何か行動を起こせば、失脚させる事が可能だ。


「さすが『策士』といったところだな…』


スズはふっと笑い、受け付けへ向かう足を早めた。



……‐―


キノ達は受付けを済ませ、簡単な検診を受けてから、係員から細かい説明を受けた。大体が、ユカから聞いた通りだったが、一つだけ初耳な事があった。


「リーダーを決めろ?以前はなかったですよね?」


ユカが不思議そうに係員に尋ねる。係員は頷き、続けた。


「リーダーシップを取れる人はやはり必要かと思いまして。ちなみにリーダーはチームすべての運命を背負っている事になりますから、慎重に決めてくださいね。祭が始まってからは、変更は出来ませんので、悪しからず。では、開始10分前までに決めてください」


係員はそれだけ言うと、受付のテントに戻って行った。一方キノ達は、予想外の事に呆然としていた。ハナとモモはそっとキノとユカの様子を伺う。
キノは、何を考えているのか、いないのか係員が消えたテントを眺めていた。そしてユカは…顎に手を添えて思い耽っていたようだが、しばらくしてチラリとキノを見る。そして、真っ直ぐキノを見据え言った。


「キノ、あなたがリーダーをやって」

「はあ?なんで私が…」

「たまには積極的に参加しなさいよ。あなたが考えているほど、簡単じゃないの。無気力無関心でどうにかなるような甘いゲームじゃないんだから」

「………」


ユカに耳が痛くなる台詞を言われ、キノは顔をしかめ黙り込む。キノ自身、出来るなら参加したくなかった訳なのだから、責任重大なリーダーなど絶対にやりたくないのだ。しかも団体行動は苦手、ましてや先頭に立って皆を引っ張るなんて……どう考えても無理だ。その事はユカも理解しているはずだ。なのに何故…。重い空気に耐え切れなくなったハナがユカに話し掛ける。


「ユ、ユカ。キノには無理なんじゃない?ユカだってキノがどんな性格か分かってるはずじゃない。ユカがやったほうが……」

「ダメよ。私は出来ない。キノじゃなければ意味がないの……。もう、今までみたいに逃がさないわよ。いい加減、その性格直したら?まるで拗ねた子供みたいね、キノ」


いつもに増してキツイユカに、キノは珍しく動揺する。


「……ユカ……?」

「それともまた逃げる気?あの時みたいに……」

「!!!………分かった。やればいいんでしょ……」


キノはユカにそう言うと、受付のテントに歩いて行く。…ハナとモモは二人のやり取りに疑問を持った。まず、なぜキノじゃなければダメなのか……。そしてユカが言った『あの時』とはなんなのか。確かに険悪になった状況は結構あった。(正に今がそうであるが…)そして、それを聞いたキノの反応。…一体、二人の間に何があったのだろう。


…この時のハナとモモには知る善しもなかった…。


……‐―

受付に向かうキノの後ろ姿を見送り、ふと『言い過ぎたかな…』と思い、溜め息を吐く。でも、後悔も反省もしていない。こうでもしなければ、あの腰の重いキノを動かせない。


(いいのよね……これで)


ふと後ろから視線を感じ、チラリと見ると、何とも言えない複雑な顔をしたハナと少し怯えた顔をしたモモ。ユカは苦笑いする。元々、この二人はキノが居るから自分のそばにいたようなものだ。特にハナはキノをとても慕っている。彼女を突き放すユカを良くは思わないだろう。


(嫌われちゃったかな…)


祭の最中に仲間割れは致命的だ。でも自分で決めた事、今更変える気はない。キノに勝つまでは……。





…ユカがキノにここまで対抗意識を持つのには理由があった。



―そう、あれは小学校3年生の時……―




二人が初めて出会ったのは、小学校3年生の時だ。当時、この町に引っ越して来たばかりのユカは、内気な性格故にまだ友達も出来ず一人でいる事が多かった。遊びに誘われることも、ましてや誘う勇気もなく、教室で一人机につき、本を読んでいる毎日が続いた。

そんなある日の事だった。

ユカは一人の生徒が気になり始める。いつも寝てばかりで、目が開いているところなんて、数えるくらいしか見たことがない。親しい友達もいるのかいないのか……。無気力で若干世捨て人っぽい雰囲気を醸し出す少女……キノである。彼女を慕う者も少なくなく、まず、彼女が嫌いだという話は聞いた事がない。
最初はただ観察しているだけだったが、新学期の席替えで席が近くなったのをきっかけに、話し掛けてみた。


「ねぇ、キノちゃん…でいいのよね?私はユカ。これから宜しくね」


突っ伏しているキノに近づき声を掛けてみると、キノの体がピクリと揺れ、ムクリと起き上がる。まるでアリクイかナマケモノの動きに似ている……とユカは思った。俯き加減だった顔をユカに向けながら、目を開くキノに、ユカは何故かドキリとした。……綺麗な目だ。もっと死んだ魚の目みたいだろうという先入観が働いていたため、予想外の展開に言葉に詰まった。


「……ふぅん……よろしく……」


10歳にも満たない少女にしてはハスキーな声。ユカは少し分かった気がした。周りに人が集まるのは、おそらくこの人畜無害的な雰囲気と不思議な魅力。(この表現が正しいかどうかは謎だが)あまり人の細部までは知りたがらない、程々に距離をとるような付き合い方。キノはこの年齢で、すでにそんな人間関係を確立させていたのである。


「なに?……他に何か用?」


そんな事を考えているユカにキノは頬杖をつきながら欠伸混じりに言う。それを聞いたユカは慌てて返事をする。


「あ、えっと。友達になって欲しいなって……」


言ってしまった後で、しまった!と思った。とっさに言ってしまったとはいえ、今日初めて言葉を交わした仲で、いきなり『友達になって』は重たいだろう。ふと様子を伺うと、キノは真っ直ぐユカを見たまま、何も言おうとしない…。
目を合わせたまま、重い沈黙が流れる……。正直、この間は堪える。


(……お願い!何か言ってよ!!)


ユカは目を逸らせないまま、心の中でキノに訴える。……すると、


「いいよ。別に………」


と言い………少し笑った。
てっきり断られると覚悟していたユカは、一匹狼なキノの意外な台詞(笑顔のオプション付き)に暫し固まった。しかしすぐに笑顔になる。


「よろしくね。キノ!!」





これが二人の出会いだった。




それからその関係は、中学校に上がっても続いていた。ユカはキノを親友だと思っていた。相変わらず、無愛想で無関心で無気力。それは、ユカに対してもクラスメート達に対しても変わらなかった。でも一つだけ、幼なじみの双子さえ、見たことがない、ユカにしか見せないものがあった。

―笑顔―

口角を少し上げるだけの笑顔だが、その顔を見られるのは自分だけ。それが嬉しかった。


ずっとこの穏やかな関係は続いていくのだと、ユカは思っていた。


ところが、ある些細な事で、その関係が形を変えた。


中学校に入って初めての中間試験。ユカは張り切っていた。授業は真面目に受けていたし、試験勉強だってコツコツやってきた。


(トップを狙えるかもしれない!)


ユカは自信満々で試験に臨んだ。


……結果、学年2位だった。


学年トップは………なんとキノだった。



ユカは自信があっただけに納得がいかなかった。なぜなら、キノは授業中は常に居眠り。授業が終わってから一旦目を覚まし、ユカのノートを写す。そしてまた寝る……を繰り返していた。ハナに聞いてみたのだが、どうやら試験勉強は全くしていないらしい。


なんで?どうして?私はこんなに努力してるのに。


勉強だけじゃない。運動も人間関係も教師からの信頼も、すべてキノがさらっていった。

この瞬間から、ユカはキノに対して強い劣等感を感じ始めた。


―勝ちたい、どんな事でもいいから、キノを追い越したい!!―


そして、期末試験になった。ユカは、またしっかり準備し臨んだ。

……しかし試験当日、キノは欠席した。風邪らしいが、ユカは信じられなかった。少なくとも昨日までは元気そうだった。


(……まさか、ボイコット?)


あまり疑いたくはないが、もしそうならば、何故だろうか。寝過ごした?……いや、いつもギリギリではあるが登校しているのに。
疑いはじめたらキリがない。どんどん深みにはまっていく……。


…ユカがキノが欠席した理由を聞いたのは、試験休みが終わった後だった。



その日、キノは補習のため居残り。ユカはハナとモモと一緒に帰路に着いていた。……ハナなら何か知ってるかもしれない……。
そう考えたユカは思いきってハナに聞いてみた。


「ねぇ、ハナ。キノ、試験当日になんで休んだの?」

「え?……あ、ああ。風邪だよ」

「嘘………本当は違うんでしょ?」

「…………ユカ」

「教えてよ!なんで休んだのよ!」

「お、落ち着いてユカ!!分かったよ……実はね…」


すべてを聞いたユカは愕然とした。やはりキノは試験をボイコットしたのだ。
そして理由は………ユカだった。
勘のいいキノは、ユカが自分に対抗意識を持っている事に気づいていた。面倒事が大嫌いなキノは、ユカを学年トップにする事で、回避しようとしたらしい。……ユカは沸々と怒りが湧いてきた。


(……私馬鹿にされたの?キノ、あなたは私を見下してるの?)


プライドが人一倍高いユカは、怒りに体を震わせながら、来た道を走った。後ろから、ハナが何か言っているが、今のユカの耳には入らなかった。



そんな事態になっているなど露知らず、キノは補習を終え帰宅準備をしていた。…と突然、

ガラガラッ

キノは開いた扉の方を見て、軽く目を見開く。……そこには帰ったはずのユカが居たからだ。ユカはツカツカとキノに近づき、


バチーン…


キノに平手を見舞った。キノは少しよろけたが、体制を立て直し、打たれた頬を抑えもせず、ユカを見つめる。どうしたなんてマヌケな言葉を言うつもりはない。ユカの怒りに満ちた表情を見て、キノはすべてを悟った。そしてこう言った。

「ユカ…私は弁解する気はない。私に勝ちたいんでしょ?………勝てて良かったじゃない」

「馬鹿にしないでよ!!私が喜ぶと思った?なんで逃げるのよ!意気地無し!」

「!!……逃げる?意気地無し?どういう……」

「私に勝つ自信がないんでしょ?だから逃げたんでしょ?キノ!!」

「…っ!!ユカ…」

「最低……卑怯者!!」

「…………」

「でも、絶対に離れないから。あなたは私の唯一のライバルであり親友なんだから……」

「!……そ。勝手にしたら?私は別にどうでもいい……」

「分かった。じゃあ勝手にする……」



――‐…





キノは親友……それは今も変わらない。しかし同時に倒したい好敵手にもなった。だから、この祭で決着を付けたい。まず下準備として、キノにやる気になって貰わなくてはならなかった。だから挑発し、リーダーにしたのだ。


「勝負よ、キノ。絶対に逃がさない…『あの時』みたいに……」




―しかし、ユカはこの行動を後に後悔することになる。それは、ずっと後の話……―



《クロSide》

「今日もいい天気になりそうだ」


街外れの小高い丘にある公園にあるベンチで、愛用のヘッドフォンでお気に入りの曲を聴きながら、空を見上げる青年……クロ。
夏の明け方の風を体に受け、髪を掻き上げると腕時計を見た。


「そろそろか…。スズの奴、上手いこと言ってくれたかな……」


毎年、楽しみにしていた祭。正直、今年だっていつも通り参加したかった。しかし、知ってしまったのだ。……逃走側の事を。

今年の逃走側は女子高生と聞いた。しかも祭は初心者。あまりにいろいろと危険だ。追跡側は大半があまり善人とは言い難い奴らが多い。もし、捕縛されてしまったら……とても口では言えない展開になる事は明白だった。ましてや自分がその手伝いをするなんて御免被りたい。

良かったのだ、これで。追跡側や逃走側でなくても祭に参加は出来る。なんとか早い段階で、逃走側と接触した方がいいだろう。もし協力を断られても、警告やアドバイスぐらいは出来る。


……祭の開始を知らせるサイレンが鳴り響く。クロは一度思い切り伸びをし、ヘッドフォンを外し首に掛けた。


「さて……、お姫様達に会いに行くとしようか」


まだ見ぬ少女達を案じながら、街の方に歩きだした。


《逃走側Side》

「いよいよね。キノ」


サイレンを聞きながら、ユカは隣に居るキノを見る。キノは前を見据えたまま、何も言わず歩き出す。慌てたように、ハナとモモも後を追う。ユカは三人の後ろ姿を見つめ、自分もゆっくりと歩き出した。
先程の件でかなり空気が悪く、キノはおろかハナとモモとも気まずい雰囲気になってしまい、ユカは小さくため息をついた。でも、後悔はしていない。あの計画を実行するその時までの辛抱だ。こんどこそ実力でキノに勝ちたい。ユカを突き動かしているのはその思いだけだった。


「キノ……さっきの言葉、取り消す気はないわ。あなたにだけは負けたくないの……絶対に!!」


まるで自分に言い聞かせるように呟くと、ユカは決意を固めた目でキノ達の方を見た。


日が昇り、広がる澄み渡る青空に響き渡るサイレンを背に、逃走チームは動き始めた。これから一ヶ月間の逃走劇で、何がどう変わりどういう結末になるのかは、神様しか知らない。



《追跡側Side》


「…始まったな。さて、俺も出るとしようか」


サイレンと同時に、ワラワラと動き出した連中を横目に、スズ立ち上がる。
今年も追跡側として参加はするが、ずっと居続ける気はない。状況を見て離反する気だ。まずはクロを探し合流する。きっとクロの事、まずは逃走側の少女達に接触しようとするはずだ。長年の付き合いだ、彼の思考は大体把握している。クロが傍に居れば、きっと、いや絶対に安心だ。なぜなら、クロは今まで追跡側で参加していたのだ。連中の行動パターンやテリトリーなど全て知っているのだ。よっぽどの事がない限り、捕まる事はないだろう。後は、機を見て自分が離反し、クロ達と合流すればいい。


「クロ……必ず彼女達を守るんだ。俺も近い内にそっちに加勢する。待っててくれよ…」


スズは素早く、クロにメールを打つと《サーチ》と呼ばれるレーダーを腕に括り付け、舞台となる街に向かう。機械いじりが趣味のスズは、《サーチ》と呼ばれる機械を扱うため『技巧師』と呼ばれている。追跡側は毎年、『策士』のクロと『技巧師』のスズのおかげで勝つことが出来た。しかし、今年はクロは外れ、スズも離反を計画している。クロとスズが追跡側を外れれば、違う結果をもたらすことになるだろう。それくらい、二人の実力は高いのだ。


「これ以上、連中の好き勝手を許すわけにはいかないからな。変えてみせるさ………な、クロ……」


スズは眼鏡をクイッと持ち上げると、友に呼びかける。その声が早朝の少し涼しい風に乗り、今は遠い友に届く事を願って………。


「はあ…はあ…」


キノは走っていた。理由は言わずもがな、追われているからだ。
運動神経はいいほうだが、日頃授業も体育祭もサボっていたキノ。しかも部活は帰宅部で、運動とまったく縁のない生活を送っていただけに、まさか今になって全力疾走するハメになるとは思わなかった。


「しくじった…」


最初は傍にいたモモ達も、散り散りになってしまい、現在キノは孤立状態。背後からは数人の若い男女が迫っており、進行方向に追跡者がいないのが、せめてもの救いだった。撒こうにも一本道で、ただただ前に走り続けるしかない。
しばらく走り続けたその時、前方に曲がり角を発見し、勢いよく飛び込むようにまがる。だが、


「……………!!」


キノは愕然とした。前には小綺麗なアパートが両側に隣接しており、その先は…………


「い、行き止まり…」


走る事を忘れ、立ち尽くすキノ。背後からバタバタと足音がする。
絶体絶命……。キノは植え込みに力無く座り込む。
と、その時、


グイ!

「!!」


何者かに腕を捕まれ、植え込みの中へ引っ張り込まれる。逃れようともがいていると、背後にいる者に抱きしめられる。


「静かに…。見つかるよ」

キノの耳元で囁く声が。心地好い低いテノール。キノは何故か、その声に従いもがくのをやめる。
しばらくすると数人の足音が、キノが隠れている植え込みのすぐ前を走り抜けていった。


しかし、通り過ぎてもがっちりとホールドされたまま離してくれない。不思議に思い、少し首を回し背後の人物を見る。


若い青年と目があった。少し日に焼けた肌と、赤いメッシュが所々入った、黒い短髪。ひどく整った顔がキノの顔を見つめている。しかもどアップで。その瞬間キノは今の自分の状況を理解し、ふたたびもがきだす。しかし、がっしりした腕は、緩む事無くキノを抱きしめたまま。痺れを切らしたキノは、後ろの青年を見て呟く。


「ちょ…離して…」


しかし返ってきた答えは、


「やだ」


それを聞いたキノは、腕を振りほどこうとするものの、逆にさらにギュッと抱き着かれる。そして、さらに密着した青年は再びキノの耳元で囁く。


「まだダメだよ。忘れたのか?この先は行き止まりだ。じきにあいつらが戻って来る。今出ていったら確実に捕まるぜ。だからもう少し我慢…な?」

「っ………分かった…」


青年の言う通り、今出ていけば捕まる事は確実。キノは再び大人しくなった。すると少ししてから、またバタバタと足音が通り過ぎた。…大通りのほうに向かったようだ。逃げ切れた…とキノは詰めていた息を吐いた。同時に腕の力も緩まると、キノは思い出したように青年の手から逃れる。そして植え込みから這い出ると、自分を見つめている青年を一瞥して一言、


「…ありがと…」


と言い目を反らす。先ほどの状況を思い出し落ち着かない。異性に抱きしめられるなんて経験のないキノ。どういう顔をして、彼を見たらいいのか分からない。顔に熱が集まり、相手を直視出来ない。
すると、青年はキノを見つめたままフッと笑うと、


「あんたかキノか。確か逃走側の大将だったよな。俺はクロ。中立って立場だ」

よろしくと出された手を、キノは遠慮がちに握る。自分でもビックリだ。初対面の、しかも男に握手を求められ、嫌悪感を感じない自分。もしかしたら、彼…クロの飾り気のない、優しい雰囲気がそうさせるのかもしれなかった。握手を交わし、少しキノが落ち着いたところで、クロは話を切り出した。


「キノは『祭』は初めてなんだろ?色々決まり事とかあるけど、知ってるか?」

「あ、うん。大体はユカに聞いたから」


「ユカ?」


「私の……親友……?」


「な、なんで疑問形?もしかして、同じ逃走側なのか?」


「うん…」


「ふーん…」


クロは視線を落とし、何か考えるそぶりをした後、またキノを見た。


「なあ、あんたの仲間にしてくれないか?」


「は?な、なんで?」


「あんた素人なんだろ?俺は何度も参加してるし、色々知ってる奴が傍にいたほうが何かと便利だろ?だから……それに俺、あんたを支えたいんだ。迷惑か?」



キノは呆気にとられた表情でクロを見る。聞き方によれば口説き文句にも聞こえなくもない台詞を受け、キノは考える。
確かに、クロの言い分は最もだ。自分は今年初めて参加したズブの素人。いくらユカが詳しいとしても、彼女だって参加は初めてだ。それにユカの情報が、すべてとは限らない。マニュアル通りには行かない、そんなゲームなのだ、これは。ここはクロを仲間に迎えたほうがいいかもしれない。

「…分かった」


キノがコクリと頷くと、クロは太陽のような眩しい笑顔を見せた。


「よし!これからよろしくな!大将!」


「……大将は止めて…」


彼―クロとの出会いが、キノに大きな影響を与える事になるのは、まだまだ先の話。


――‐

夕方になり、キノとクロは人の波がいくらか治まった商店街を抜け、路地裏に身を隠していた。

とりあえず10時を回れば、追跡側は追い掛けては来ない。それまでは出来るだけ人目を避けて、下手に動かないほうがいい。キノはクロがコンビニで買ってきた、カレーパンと缶コーヒーをご馳走になりながら、クロから色々と『鬼ごっこ』について聞いていた。やはり、ミカの情報と被る部分も多々あるが、知らなかった事も多い。


「…協力者?」


「ああ。今年から中立者や一般の人達を協力者として仲間に出来るんだよ」


「でも、一般の人達を巻き込んじゃダメって…」


「一般や中立の連中は、追うとか追われるとかは決まってないけど、自由に祭に参加出来るし、役割があるんだ。例えば……『監査』や『技工士』、あと『策士』他にも色々いるみたいだけど、俺が把握してんのはこれくらいだ」


クロはそこまで言うと、残っていた缶コーヒーを飲み干し、キノに笑いかける。キノはその顔を見て、思わず目を逸らし、所在なさげに視線を泳がせながら俯く。
……先程から、なぜか落ち着かないのだ。ここに来る際にも、手をしっかり繋がれたり、抱きしめられたり。異性に免疫のないキノには些か刺激が強い。しかも、当の本人は当たり前のように平然としているため、嬉しいというか恥ずかしいというか、なんというか………複雑な思いが渦巻く。

(慣れてるみたいだし、別にこの人にとっては、特別なことじゃないんだ…)


キノは少し落ち込んでいる自分に驚いた。いつもなら無関心を貫き、別になんとも思わないのに、クロに優しくされたり、名前を呼ばれるだけで、こんなにも胸が締め付けられる。だが、経験のないキノはこのもどかしい気持ちがなんであるか、皆目検討がつかなかった。


「キノ?疲れたのか?大丈夫?」


「あ、え?う、ん……少しだけ…」


「今は…9時か。もう少し休むか?」


「ううん。もう大丈夫」


「そうか…じゃあ、そろそろキノの仲間たちと落ち会うか」


クロはそう言うとキノに手を差し出す。キノが戸惑っていると、クロはキノの手を掴み立たせる。勢いあまったキノは、クロの胸に飛び込むようなかたちになってしまい、キノは恥ずかしさにワタワタと真っ赤になりながら、クロの腕の中から離れる。そして、


「は、早く行こう…」


とだけ言うと、すたすたと早歩きで歩き出す。そんな彼女は愛おしむように見つめているクロの視線にキノは気付くはずもなかった。


ここは、街の中にあるホテル。

夜10時を回り、辺りはほとんど人気がなくなっている。クロとキノは時間が来るのを待ち、ホテルに向かった。

実は、クロはキノを探す前に、ある人物にハナとモモ、そしてユカをこのホテルに誘導するように頼んでおいたのだ。いつもなら観光客が多く宿泊するのだろうが、祭の間はホテルなどの施設は、すべて主催者が貸し切るため無人となる。従業員も最小限しかいない。このホテルも例外ではなく、無人でしーんと静まりかえっていた。

「本当に静かだな…。確か2015号室だって言ってたな」
そう言うと、クロはキノの手をひき、エレベーターへ向かう。手をひかれながら、高級感溢れるロビーにくぎ付けになるキノ。きっとこんな高そうなホテルに泊まる事は、二度とないかもしれない。キョロキョロと周りを見回していると、クロが笑いながら尋ねる。

「そんなに珍しいか?ちなみに施設内の設備はすべて使い放題だからな。主催者が大金出して貸し切ってんだよ」
「そ、そうなの?……金額が想像出来ないんだけど…」
「うん、俺も!」
「……ぷ、ふふふ」
「……やっと笑った。笑うと可愛いぜ?」
「////!!……もう、止めてってば!」
「照れてる顔も可愛い」
「///////し、知らない!」
「ははは、ゴメンゴメン!」
最初、確かにクロは祭に参加するため、キノに近づいた。この切羽詰まる状況の中、どうすれば信頼関係を築けるのか…それはキノの警戒心を解くことだった。初めて言葉を交わしたとき、かなり人間不振で不器用な子だ…と感じた。人との関わりを嫌がると言うわけではなく、怖がっているように見えた。クロはそんなキノに、まず自分がどういう人間なのかを分かってもらうため素で接し、反応を見て警戒されるか受け入れて貰えるか見極めようと思ったのだ。結果、すべて杞憂に終わり、キノはクロを信頼して滅多に見せなかった笑顔まで見せた。そんな彼女と接している内にクロ自信にも変化が起きはじめた。今まで、異性に興味を持たず、祭一筋だったクロ。いままで、異性に言い寄られた事は多々あったが、どんな美人もクロを本気に出来なかった。ましてやクロ自信、自分からアピールをしたこともない。不思議な感覚が胸の中にジワジワと広がりつつある。

(キノをもっと知りたい………)

出会って、たった数時間の女性、しかも年下の子にいつの間にかこんな感情を抱いた自分に驚く。

クロは自分の手の中にある、キノの細く小さな手を優しく握る。キノは、少し驚いたようにクロを見たあと、頬をほんのり染めて握り返す。


この祭が無事に終わったら、すべて分かるだろうか。その時、自分達はどういう関係になっているだろう……。それを知るためには……………この戦いに勝つしかない。


必ずキノたちを勝利に導くため、総てを捧げる決意を固めるのだった。



「キノ~!!……って、ええぇ??」

部屋に着いたキノ達を迎えたのは、ハナの絶叫だった。

「うるさい………」
「おいおい…驚きすぎだろう?」

キノはいつも通りの反応を返し、クロは苦笑いしながら頭を掻く。
ハナの絶叫を聞き、ドアのところに駆け付けるモモとユカは声は出さないものの驚きの表情を浮かべる。
あの他人に無関心なキノが、ましてや異性にとことん冷たいキノが……全く面識のない他人を、しかも異性を近くに置いている。

「……だれ?その人…」

ユカがいつもより低い声でキノに尋ねる。その声聞き、ビクッとするハナとモモ。キノは平然とした顔で、黙ってユカを見つめる。

ユカは怒っていた……。ハナとモモはハラハラしながらキノの返事を待つ。

「協力者」

キノはそれだけ言うと、クロを振り返る。クロは三人を見るとニコリと笑い、

「俺はクロ。よろしくな」

と自己紹介した。ハナとモモは顔を見合わせ、ユカの方を見る。

「協力者?そんな話、聞いてないわ!!あなた……追跡側のスパイなんでしょ?キノ!あなたも無責任に連れて来ないで!」

ユカは目を吊り上げ怒鳴る。クロはやれやれ…と困ったように笑っていたが、ふと真顔になるとユカに言った。

「ユカ…だっけ?キノを大将にしたのはあんたなんだろ?祭の事、色々調べたあんたなら、大将の決定に従わなくてはならないってルール知らない訳ないよな。……何を焦ってんだ……?」

ユカはカァっと赤くし、クロの前に立って、二人のやり取りを傍観しているキノの腕を掴み、引き寄せる。
「たしかにそうよ。私がキノをリーダーにしたわ。ルールも知ってるわ。でも、仲間になるのなら、メンバーに確認してからにすべきよ!大体、あなたみたいな人、信用出来ないのよ。どうせ、油断させて…「やめて……」…キ、キノ?」

クロに攻撃するユカの言葉を、キノは静かに怒気を含ませて遮る。

「クロはそんな汚い事をする人じゃない……現に私は無事にここまで来れたし、ユカ達だって逃げ延びられたでしょ…?もし、嵌めるつもりなら、このホテルの場所を追跡側にリークしてるはず。……ユカ、お願い。クロを仲間にして……」

キノはそう言うとユカに頭を下げる。ハナとモモはまた驚く。たとえ誰であろうとも、頭を下げることなんてしないキノが、ユカに下げている。しかも、クロのために………。クロも驚きの表情を浮かべると、ふとユカの顔を伺う。ユカは面食らったような表情をしていたが、クロの視線を感じたのか睨みつける。

(随分、嫌われてるな俺…初対面なのに)

それに単に、警戒されているだけではない。ユカの自分をみる目は、明らかに自分に対する嫉妬。自分より初対面の出会って間もない男を信用するなんて…といったユカの心の声が聞こえて来るようだ。しかし、クロは飄々とその視線を受け流す。

「とにかく、これから世話になるぜ。よろしくな」

ユカはそれに答えず、バタバタ足音をさせながら、部屋に入りすごい勢いで扉を閉めた。そんなユカを見つめ、キノはふぅと息を着く。ハナとモモは、何を言ったらいいか分からず黙っていたが、ハナがふと思い出したようにクロに話しかける。

「そういえば……タケって子はあなたの知り合い?」
「ん?ああ。タケは俺ん家の近所に住んでる奴でな。あんたたちと同じ、祭初心者だ」
「ふーん。そうなんだ。まあ、さ、キノが決めたんならね。ユカの事は私たちに任せて、改めてよろしく!!クロさん」
「よろしく…お願いします…」

二人はクロに頭を下げた。クロは二人の頭を撫でながら微笑む。その光景を見てキノが悶々としていると、知らない内に顔に出ていたのだろう。クロは今度はキノの頭をぐりぐり撫で回す。

「拗ねるなよ、キノ」
「す、拗ねてない!!何言ってるの!!」

そんな二人をハナとモモは笑って見ていた。



一方、ユカは………

「なんで、なんで彼が……なんで『策士』が。キノ……どうして……」


ベッドに俯せになり、枕に顔を押し付け呟く。

ユカは彼を…クロが何者なのか知っていた。彼は、去年まで追跡側に付き、逃走側を追い詰め捕まえる、『策士』と呼ばれる人物なのだ。今回、仲間になる事を申し出たらしいが、簡単には信用できない。それに……何よりも、キノが自分を差し置き、クロを信頼し側にいる事が一番気に入らなかった。

「クロ……絶対に邪魔はさせないから…………」

ユカは静かに呟くと起き上がり、窓から外を眺める。
その表情は、厳しく何かを決心した顔だった……。



《一日目:開幕》
END

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