それは、悪意のうごめきだす音……
翌朝…。
ホテルの周囲は今までと違っていた。
逃走側であるキノ達を待ち構えるため、追跡者達が張り込んでいたのだ。
本来なら失格となるこの行為。新たな『策士』の独断で行われていた。
「逃走側は朝6時に動き出す。ならばホテルの周辺を固め、散り散りになる前に一網打尽にすれば……簡単だろう」
「………それは失格行為だ。主催者に見つかればただでは済まない」
「ふん……所詮クロの金魚のフンか。スズ……バレなきゃいんだよバレなきゃ」
「………勝手にしろ。俺はお前には従わない」
そんな会話を交わした後、スズは公園の方へ向かった。
そんなスズの態度に舌打ちをする紅い長髪の男…………サイは、下僕の男達に作戦を遂行するように言い、自らはノートパソコンの前に座る。
「逃走側の経路は把握済みだ。ホテルを出たらまず、路地に入る……そして逃走区域である地下街に逃げ込むんだ。………くくく…………俺のデータは完璧だ。クロよ。お前が居なくても俺が勝利に導く」
不敵に笑うサイ。
この鬼ごっこで勝利すれば、クロを下僕に出来る。それは積年の妬みからくるものであった。
……………―
………―
元々、サイはクロと同じ大学の戦術研究のサークル仲間だった。お互い、仲間という認識は薄く、あまり意識していなかった。
それがガラリと変わったのは、初めて祭に参加した時だった。
自ら追跡側の『策士』に志願し、自分の能力を発揮し、名を上げる………つもりだった。しかし、そのポジションにはすでにクロがいた。
しかも、クロは確実に成果を上げ、追跡側にはなくてはならない存在となっていた。しかも、クロの傍らには気難しい事で有名なスズが『技巧師』として活躍していた。
……自分の出る幕はない……
自尊心の塊のようなサイには受け入れがたい状況だった。何故クロなのか、何故自分は重用されないのか…………いくら考えてみた所で、サイの納得のいく答えは出ない。
しかも、最愛の女まで奪われた。(とは言っても、女が一方的に好きなだけで、クロはなんとも思ってはいない)
悔しい…妬ましい……そんな気持ちで数年間追跡側で参加し続けた。
……いつか引きずり落としてやる………
真っ黒い憎悪となり、爆発しそうになった時、クロは追跡側を離脱した。
このチャンスを利用しない手はない。
クロがいなくても、自分が成果を上げれば追跡側も自分を重用するはず。
彼女―アヤだって戻ってきてくれるはず。
そのためなら手段は選ばない。
……サイを突き動かすのは嫉妬と悪意だった………
…………………―
……………―
……―
朝6時。
祭の開始時間になった。
今か今かと待ち構える追跡者達だったが、一向に建物から出てこない。次第に張り込んでいた者達が、騒ぎはじめた。
「おい!!サイ!どうなってんだ!誰も出て来ねぇぞ!」
サイの無線から追跡者達の怒号。
…もしや……嫌な予感が過ぎるサイ。しかし、極めて平静を装い指示を出す。
「落ち着け!!まだ、建物にいる可能性が高い。開始時間は過ぎている。乗り込め!!」
『おおお!!』
空気が震える程の掛け声と共に、追跡者達がホテル内になだれ込む。
しかし、
ロビーにも個室にも、キノ達の姿は無かった。
………………―
……………―
…………―
「ふう…どうやら撒いたみたいだな…」
キノ達は公民館にいた。
実は、監査であるタケが明け方、追跡側の人間を何人か見かけたのだ。もしかして…と思い、クロとキノを起こし説明し、相談の結果少し早めに裏口からホテルを脱出し、タクシーを拾い今に至る……という訳だった。
「さすが監査ね」
「凄いじゃん!タケ!!」
キノとハナに褒められ、タケは照れ笑いする。
―やはり、監査は必要だ―
今回の件で改めて思い知らされた。もし、タケがいなかったら…皆捕まっていた。
「それにしても、随分と姑息な策だな。……あいつを思い出す」
苦虫を噛み潰したような顔で呟くクロに、キノは不思議そうな視線を向ける。
「あいつ?」
「…ああ。大学で同じサークルに入ってる奴で、……サイって奴がいるんだが、そいつの策の傾向と似てるんだ」
「……あらそうなの…」
あまり差し障りなく返事をするユカの様子を、キノは見逃さなかった。
一瞬、ぴくりと体を揺らし、眉を潜めたその仕種…………明らかに動揺している。
(ユカ……何を知っているの……?)
この場で問いただす事は可能だが、場の空気も悪くなるのは必至。…やめておいた。
もし聞いたとしても、まともな返答は期待出来ない。…………そんな気がするのだ。
(私と勝負……とか言っていたけど………まさかね)
そのまさかの展開をユカが考じていようとは、キノはおろか他のメンバーも知らない。
…………………―
………………―
「さて、これからどうする」
手早く食事を済ませ、一休みしてから作戦を練る。
「…取りあえず、駅前は避けた方が無難かもね。あと、一人で行動するのもやめたほうがいいわ」
前回は追跡側も偵察程度なのか、あまり徘徊していなかったが、今日は分からない。もし仮に二人、三人一緒に行動した結果、捕まってしまった時を想定したら、一人で行動する方がリスクは小さい。が、一人で周りに神経を張り巡らせるのは、精神的にも体力的にもキツイ。しかも自分は大将だ。大将が捕まればその場で敗北となる。それだけは避けたい。
「そうね………私もキノの意見に賛成よ。今回は二人一組でペアを組んで行動しましょう」
「ん、俺もそれがいいと思う。お前たちは?」
クロがハナ達を見ると、ハナとモモ、タケは笑顔で頷いた。
「……じゃあ、早速ペアを決めましょうか」
キノがそう言うと、ハナが提案する。
「ここは公平にアミダクジにしようよ!!」
「うん!僕も賛成!」
「じゃあ……少し待ってて」
その提案に皆が賛成したのを確認すると、キノは棚の引きだしを漁って、紙とペンを出しクジを作りはじめた。
…………………―
………………―
………―
クジの結果……
「私はハナとね」
「うん!よろしくね!ユカ」
ユカとハナチーム。
「俺はモモか。よろしくな!」
「は、はい……よろしくお願いします……クロさん」
クロとモモチーム
「僕はキノ姉ちゃんとだ!よろしく!」
「うん…よろしく。タケ」
キノとタケチームに別れた。
その後、落ち合う場所を確認し解散した。
…………………―
………………―
……………―
「くそっ!一体どうなってる!!逃走側は素人の筈だ!!」
自分の読みが外れ苛立つサイ。ホテルはもぬけの殻。猫の子一匹いない…と知らせを受け、サイは逃走側のデータを調べはじめた。
「………皆、普通の女子高生だ。鈍臭さそうなのは居るが、頭がキレそうな奴はいない……何故だ……っ」
サイは自らの策に絶対的な自信を持っていた。サークルで培ってきた戦術スキル……必ず成功する筈だったのに……。
「俺の策を看破出来る奴は、クロくらいしか……………まさか……!」
「そのまさかかもね」
背後から聞こえた声に、ビクリと肩を震わせ、振り返ると、ライトブラウンのロングヘアーの女性が、扉にもたれるように立っていた。
「アヤ……!!」
「久しぶりね。サイ」
女性……アヤは美しく整った笑顔を見せる。
「……何しに来た。お前は……」
「あら、今年は出入り自由でしょ?何の問題もないはずよ…」
「……?」
不信をあらわにするサイに、アヤは小さく鼻で笑う。
「クロが追跡側を外れてどうしたか………知りたい?」
「!!知ってるのか?」
「ええ………教えてあげてもいいわ。条件付きだけど」
「………条件?」
ますます訝しがるサイに、思わず見惚れるような笑みで意味深に笑う。
「えぇ……心配しなくてもとても簡単な事よ…ふふふ……」
………………………―
……………………―
…………………―
―逃走側、ユカ&ハナ―
「ふう……一時はどうなることかと思ったけど…」
「なんとか撒けたね」
ふーとお互い息を付き、物影に身を隠す。遥か遠くで追跡者の声が聞こえていたが、やがて聞こえなくなった。
「ゴメンなさいね。私が大通りを行こうなんて言ったから…」
「え?ううん、ユカのせいじゃないよ!気にしないで」
実はユカの提案で、大通りから路地に入ろうとしたのだが、運悪く追跡者と鉢合わせし、命からがら逃げて来たのだった。
しかし、かなりスリリングで体力消耗の激しい鬼ごっこだ、とハナは心の中で呟いた。
「キノ達は大丈夫かしら。かなり追跡者が増えた気がする……」
「大丈夫だよ。モモは策士のクロさんと一緒だし、キノだって監査のタケと一緒だもん!」
「………そうね。とにかく、今一番の問題はどうやって残り時間を過ごすか…よね」
今ユカ達のいる場所……高架下の空きテナントだが、地下街や公民館のように制限されていない。何とか撒けたものの、だからと言って絶対安全とは言いきれない。居続けるのは危険だ。
「ん~…もう少し様子を見てから考えよ」
「ええ……さすがに今回はくたびれたわ……」
ユカがんーと伸びをする。ハナもつられて欠伸をした。そんなハナを見、ユカは心配そうに声を掛ける。
「大丈夫?私が見張りするから少し寝る?」
「え?ああ、大丈夫大丈夫!!安心しちゃって気が緩んだのかな」
「辛かったら我慢しないで?」
「平気だよ。ユカこそ少し寝たら?顔色悪いし…」
実はユカは今朝から少し熱っぽかった。慣れない環境で気を張っていたからだろう。しかし、皆に迷惑は掛けられないと黙っていたのだ。
「……バレちゃったわね。じゃあお言葉に甘えて少しだけ…」
「うん。おやすみ、ユカ」
ユカはハナにもたれかかり、間もなく寝息を立てはじめた。
―逃走側…クロ&モモ―
一方、クロとモモは地下街にいた。しーんとした通路を二人が歩く音だけが響く。
「しかし、表に随分張り込んでるみたいだな…当分大人しくしておくか。モモ、大丈夫か?」
「はい。大丈夫…です…はあはあ………」
「……辛そうだぜ?どこか座るか」
「……すみません……」
地下街に来たのはいいが、周りに大勢追跡者がおり、なかなか入れず歩き回ったのだ。
普段から運動音痴なモモはすっかりくたびれていたが、クロの足を引っ張るまいと無理矢理付いて来ていた。口では大丈夫とは言っているが、その疲れは顔に出ていた。
クロはモモの手を引き、テナントの近くのベンチにモモを座らせる。
「ちょっと待ってな」
「?」
クロはモモにそう言うと、一つだけシャッターが開いている店に入って行った。
しばらくして、缶ジュースとチョコ菓子を手に、モモの元に戻ってきた。
「ほら、りんごで良かったか?」
「え?は、はい。あの……これ……」
お店の人は居たのだろうか?シーンと静まり返ったこの空間、やりとりの話し声くらいは聞こえてもいいはずだが、聞こえなかった。モモが戸惑っていると感じたクロは、安心させるように笑いながら説明する。
「大丈夫だよ。鬼ごっこの期間中に使用する施設とか、品物とかは主催者がすべて買い占めてるんだよ」
「え………そうなんですか?私てっきり……」
「盗んだと思ったか?」
「え…………と…………はい」
「ははは!そんな顔するなって。初めて参加したんだ、知らなくて当然だよ」
「……すみません…;」
謝らなくていいと笑いながらモモの頭を撫でるクロに、モモはほっとしたように笑う。
「やっと笑ってくれたな」
「え…?」
「いや……なんかさっきまで泣きそうな顔してたからさ。俺じゃなくてキノと組んだ方が良かったか………とか考えてて」
少し淋しそうに話すクロを見たモモは、そんなに心配させた事を申し訳なく感じた。
「ち、違います!あの………私、今まで男の人と二人きりになるなんて事無くて。いつも、ハナ達と一緒で……その……」
一生懸命言葉を繋ぐモモをクロは優しく見つめる。
「だから……そのクロさんが嫌いとか怖いとか……そう言う訳じゃないです」
「そっか……」
「……むしろ、安心してます。クロさんが居れば大丈夫って………」
「!……ありがとな。それだけ聞けりゃ十分だ。頑張って逃げ切ろう」
「は、はい!!」
笑い合う二人。
クロは内心驚いていた。なぜなら、モモはハナと居るとき以外、まったくと言っていいほど言葉を発さない。正直、受け入れられていないと思っていたが、今のモモの言葉でそれは杞憂だったと知る。
(こりゃあ、なんとしてでも勝たないとな…)
ニコニコしながらジュースに口をつけるモモを見、クロは改めて決意を固めた。
…その裏でどす黒い悪意が渦巻き、自分を巻き込もうとしているとは、この時のクロは気づけなかった。
一方、キノとタケはと言うと……
「ちっ…しつこい」
「キノ姉ちゃん、もう少し頑張れば撒けるよ!」
追われていた。
別にどちらかのミス…という訳ではなく、単純に運が無かった…らしい。
駅前を避け、裏道から安全な場所を探そうとしたのだが、何故か今日に限って追跡者が多い。
昨日の今日……。
自分の不運さにほとほと嫌気が挿した。
「はあはあ……」
「キノ姉ちゃん!しっかり!!…あ、こっち!!」
タケはキノの腕を引っ張り、地下通路に入り込んだ。地下通路には複数の小部屋があり、その一番奥の部屋に飛び込み、静かに扉を閉めた。ドアに張り付き、聞き耳を立てていると、暫くして地下通路の入口辺りで話し声がしていたが、その内静かになった。その瞬間、二人は気が抜けたように座り込んだ。
「はあ………なんとか、なったみたい…」
「うん……さすがにヤバかったね……でも、ここに何時までも居られないよ。連中はきっと嗅ぎ付けてくる筈だから…少し休んでから別の所に移ろう?」
「……そうね」
この地下通路も制限されていない場所。しかも、今隠れている場所は、地下で廊下の突き当たり。追跡者が来てしまえば逃げ場はない。まさに四面楚歌。タケの言う通り、居続けるのは危険だ。
暫く、座り込んでいた二人だが、何かを見つけたのかタケが立ち上がった。向かった先は……冷蔵庫。
「あ、いいもの見っけ!すっげー冷えてる!」
「?タケ?何してるの?」
ゴソゴソ漁っていたタケが、キノの元に戻り、手にしていた物を差し出した。
「はい!」
「え……缶ジュース?」
よく冷えたスポーツドリンク。廃墟かと思ったが、電気が通っている所を見ると、何かの事務所のようだ。しかし、
(……これって、犯罪にならないの……?)
なぜなら勝手に黙って、戴いているのだ。泥棒と言われても何も言い訳できない。スポーツドリンクを凝視しながら固まるキノに、タケは笑いながら言う。
「大丈夫だよ。キノ姉ちゃん。クロ兄ちゃんから聞いてない?この『鬼ごっこ』の最中に、逃走側が利用する施設とか食べ物、日用品とかは統べて主催者が買い占めてるんだよ」
確か、初めて出会い、集合場所のホテルに行ったとき、クロからちらりと聞いた事を思い出した。
「あ…そういえばそんな事、言ってたわ…」
「だから、黙って飲んでも大丈夫!!」
そう言うと、タケはプルタブを開け飲みはじめた。暫く考えていたキノも、タケに習い飲みはじめた。
…………………―
……………―
…………―
「やれやれ…やってられないな……」
こちらは追跡側の陣地である広場。
テントから出てきた青年、スズは不機嫌オーラを漂わせながら、街に向かい歩きだした。今回の策士は無茶苦茶過ぎる。しかも、他の奴らも今までの鬱憤を晴らすかのように、その非道な策に手を貸し、自分以外誰ひとり咎める者はいない。せめて、クロが居てくれれば……こんなどうしようもなくつまらないこんなゲームの為に、あんな奴らの為にサーチを使いたくない。
スズは決心した。
追跡側を外れる。クロと合流するまでは中立でいて、合流出来たらクロと同じ、逃走側の協力者となればいい。
「ふう…思い残す事はない。さあ、行くか……」
スズは振り返る事無く、追跡側の陣地を後にした。
…―その頃のキノ達は…
「キノ姉ちゃん、クロ兄ちゃんの事どう思ってる?」
「ふぐっ!?ゲホッゲホッ!!」
「わわっ!!大丈夫!?」
突然のタケの質問に、咀嚼し飲み込もうとしたあんパンを喉詰まらせたキノは、慌てて背中をさする彼を、軽く睨む。
「……ちょっと。危うく死ぬ所だったじゃない。変な質問しないで」
「ゴメンゴメン!だってキノ姉ちゃん、クロ兄ちゃんといる時は凄く穏やかな顔してるから」
「////!?…き、気のせいじゃない?」
「そうかなあ…ハナとモモもそう言ってたけど」
「!!?………あいつら……っ」
常にキノの側にいる二人は、些細な変化を感じ取っていたようで…。おそらくタケにあの時の話をしたのだろう。しかも、余計なオプションも付いている模様。
しかしキノは、否定はするものの顔に集まる熱はごまかし切れず、顔を隠すように俯く。
正直、クロは嫌いではない。寧ろ好きな部類だ。だがそれが恋愛感情なのか?と聞かれると、胸を張ってそうだとは言えない。
なぜなら、出会って間もなくお互いを知らない。クロがどんな人生を送り、どんな学生生活を送っているのか。どんな事が好きか嫌いか。付き合った事のある人はいるのか…だとしたら、相手はどんな女性なのか…………考えれば考える程、自分は彼の事を何一つ知らない事を思い知らされてしまう。
「………クロとは出会ったばかりよ。私はクロを知らないし、きっとクロだって私の事なんてしらない」
だからそんな事は有り得ないと言うキノに、タケはふーんと呟いた。
「人を好きになるって大変だよね。……でも、相手の事を全て知らないと安心出来ないの?」
「え…?」
思いがけず大人びたタケの言葉に、キノは思わず顔を上げた。
「俺さ、思うんだ。人を好きになるのって勢いなんじゃないかなあって」
「い……勢い……」
「うん。だって一目惚れってあるじゃない?それって一目見た勢いで好きになる事だよね」
「………な、何が言いたいの?」
語り始めたタケをジト目で見て話しを促すキノに、タケはん~と唸り、キノに向き直る。
「俺も難しい事は分からないけどさ、クロ兄ちゃんはキノ姉ちゃんに一目惚れしたんじゃないかな」
「…………はあ?なんで!?」
「クロ兄ちゃんを見てれば分かるよ。俺、小さい頃からずっと遊んでもらってたから、よく知ってるんだ。クロ兄ちゃん、今まで『女友達』は一杯いたけど、『彼女』はいなかったんだ。いや、つくらなかった。なんでだと思う?」
「?さあ…」
「本気で好きになれる人がいなかったから」
「…………それと私になんの関係が……」
「もう……ここまで言ったら察しようよ!!つまり、クロ兄ちゃんはキノ姉ちゃんに本気なんだよ!!」
「え………えぇ/////!?」
得意げなタケを前に、キノは湯気が立つほど赤面しあんぐりと口を開ける。
まさか、クロが自分を……?
出会った時の事を思いだす。
抱きすくめられた時の温かさやがっしりした体、程よく低く心地好い声。健康的に焼けた肌に整った容姿に、優しげな眼差し……そして、自分の手を包み込む、大きな手。
思い出し、想いを巡らせながら穏やかな微笑みを浮かべるキノは、正に恋する乙女だった。そんな彼女をタケはニコニコしながら見ていた。
とその時、タケがぴくりと反応した。
「………キノ姉ちゃん、隠れよう」
「え?」
「……来た」
「!!」
思わず息を止め、耳を澄ませると、コツコツと足音が聞こえ、しかもこちらに向かっている。
「どうしよう……!!」
「キノ姉ちゃん、そこの冷蔵庫の隣の色の違う板、押してみて」
「う、うん」
キノはタケの言う通り、冷蔵庫の横の色が濃い大きな一枚板を押した。
…………ギギギィ…………
「!こ、これ?」
「うん!思った通りだ!これはダクトだよ」
「ダ、ダクト?」
「要は外に繋がる通路…かな?さ、行こう!」
「え、えぇ」
二人は素早くダクトの中に入って行った。
その直後、間一髪で扉が開き一人の青年が入ってきた。
「……ここにもいない………か。どこにいるんだか…。合流までに時間がかかりそうだな」
青年…スズは眼鏡を持ち上げ、逃走側との擦れ違いにため息を吐きつつ部屋から出て行った。
(だが、たった今まで居た形跡はあるな。と、言うことは………まだ近くにいるかもな)
そう考えたスズは、一旦建物から出るため、出口に向かい足早に去って行った。
………キィ………
「行ったかしら?」
「いや、まだその辺にいるかもしれない。もう少しここで時間を潰そう。多分ここには戻って来ないよ」
「そ、そう……」
「でも、いつまでもいられないかもね。別のグループがここに来る可能性もある。
「そうね……じゃあ、30分したら脱出しましょう」
30分後………
二人は部屋を後にした。
……キノとタケが足音の主がスズだったと気付くのは、もう少し後だったりする。
「……ね?簡単でしょ?」
「…………ふん…そんな要求が呑めるか!」
「あら、クロに勝ちたいんじゃないの?」
「それは………」
「あなたはクロに勝ちたい。私はクロを手に入れたい…。目的の人物は一緒でしょう?」
「だが、それじゃ……」
「ふん。貴方は変わらないわね。意固地で頑固で屁理屈ばかりの全く面白みのない男」
「っ!…なんだと?お前こそ悪意の固まりの尻軽女だろう!!」
「ふふ……なんとでも。さ、言う通りにしなさいよ?貴方には拒否権はないからね」
「てめぇ……」
「度重なる失敗に皆貴方を見限ろうとしているのよ?これ以上、惨めになりたいの?」
「…………」
「まあ、私はクロが手に入れば祭なんかどうでもいいわ。……貴方の事もね」
「……そうか。それを聞いて安心した」
「?」
「俺もクロに勝てば、お前なんかどうなろうが関係ないからな。……たとえ、どんな目に遭おうが俺の知ったこっちゃない」
「!?は?何様?あんたいい加減にっ……!!」
「………要求は呑んでやる。用件はすんだろ?さっさと消えろ。目障りだ」
「……っ!そんな態度取って……どうなったって知らないわよ!?」
「消えろ!!」
「っっ!!ふ、ふん!!せいぜい足掻く事ね!あんたなんてどんなに頑張ったってクロには敵わないわ!!」
「………お前が出て行かないなら俺が出ていく。もう二度と俺の前に姿を見せるな…」
サイがいなくなり、しんとした室内に取り残されたアヤは、普段は絶対に見せない表情をしていた。
サイが自分を未だに惚れていると思っていたアヤは、自分の言うことならなんでも聞くだろうとタカを括っていた。しかし、当のサイは自分を見限ったのだ。しかも自分を侮辱した。
自らに絶対的な自信を持つ、アヤにとってそれはとてつもない屈辱だった。
「…覚えていなさい。貴方が誰を敵に回したか、教えてあげるわ…」
……それは、悪意に満ちた悪鬼の顔。
その悪鬼が動き出すまで
もう少し………
《悪意》END
逃走ゲーム
《悪意》
《悪意》
翌朝…。
ホテルの周囲は今までと違っていた。
逃走側であるキノ達を待ち構えるため、追跡者達が張り込んでいたのだ。
本来なら失格となるこの行為。新たな『策士』の独断で行われていた。
「逃走側は朝6時に動き出す。ならばホテルの周辺を固め、散り散りになる前に一網打尽にすれば……簡単だろう」
「………それは失格行為だ。主催者に見つかればただでは済まない」
「ふん……所詮クロの金魚のフンか。スズ……バレなきゃいんだよバレなきゃ」
「………勝手にしろ。俺はお前には従わない」
そんな会話を交わした後、スズは公園の方へ向かった。
そんなスズの態度に舌打ちをする紅い長髪の男…………サイは、下僕の男達に作戦を遂行するように言い、自らはノートパソコンの前に座る。
「逃走側の経路は把握済みだ。ホテルを出たらまず、路地に入る……そして逃走区域である地下街に逃げ込むんだ。………くくく…………俺のデータは完璧だ。クロよ。お前が居なくても俺が勝利に導く」
不敵に笑うサイ。
この鬼ごっこで勝利すれば、クロを下僕に出来る。それは積年の妬みからくるものであった。
……………―
………―
元々、サイはクロと同じ大学の戦術研究のサークル仲間だった。お互い、仲間という認識は薄く、あまり意識していなかった。
それがガラリと変わったのは、初めて祭に参加した時だった。
自ら追跡側の『策士』に志願し、自分の能力を発揮し、名を上げる………つもりだった。しかし、そのポジションにはすでにクロがいた。
しかも、クロは確実に成果を上げ、追跡側にはなくてはならない存在となっていた。しかも、クロの傍らには気難しい事で有名なスズが『技巧師』として活躍していた。
……自分の出る幕はない……
自尊心の塊のようなサイには受け入れがたい状況だった。何故クロなのか、何故自分は重用されないのか…………いくら考えてみた所で、サイの納得のいく答えは出ない。
しかも、最愛の女まで奪われた。(とは言っても、女が一方的に好きなだけで、クロはなんとも思ってはいない)
悔しい…妬ましい……そんな気持ちで数年間追跡側で参加し続けた。
……いつか引きずり落としてやる………
真っ黒い憎悪となり、爆発しそうになった時、クロは追跡側を離脱した。
このチャンスを利用しない手はない。
クロがいなくても、自分が成果を上げれば追跡側も自分を重用するはず。
彼女―アヤだって戻ってきてくれるはず。
そのためなら手段は選ばない。
……サイを突き動かすのは嫉妬と悪意だった………
…………………―
……………―
……―
朝6時。
祭の開始時間になった。
今か今かと待ち構える追跡者達だったが、一向に建物から出てこない。次第に張り込んでいた者達が、騒ぎはじめた。
「おい!!サイ!どうなってんだ!誰も出て来ねぇぞ!」
サイの無線から追跡者達の怒号。
…もしや……嫌な予感が過ぎるサイ。しかし、極めて平静を装い指示を出す。
「落ち着け!!まだ、建物にいる可能性が高い。開始時間は過ぎている。乗り込め!!」
『おおお!!』
空気が震える程の掛け声と共に、追跡者達がホテル内になだれ込む。
しかし、
ロビーにも個室にも、キノ達の姿は無かった。
………………―
……………―
…………―
「ふう…どうやら撒いたみたいだな…」
キノ達は公民館にいた。
実は、監査であるタケが明け方、追跡側の人間を何人か見かけたのだ。もしかして…と思い、クロとキノを起こし説明し、相談の結果少し早めに裏口からホテルを脱出し、タクシーを拾い今に至る……という訳だった。
「さすが監査ね」
「凄いじゃん!タケ!!」
キノとハナに褒められ、タケは照れ笑いする。
―やはり、監査は必要だ―
今回の件で改めて思い知らされた。もし、タケがいなかったら…皆捕まっていた。
「それにしても、随分と姑息な策だな。……あいつを思い出す」
苦虫を噛み潰したような顔で呟くクロに、キノは不思議そうな視線を向ける。
「あいつ?」
「…ああ。大学で同じサークルに入ってる奴で、……サイって奴がいるんだが、そいつの策の傾向と似てるんだ」
「……あらそうなの…」
あまり差し障りなく返事をするユカの様子を、キノは見逃さなかった。
一瞬、ぴくりと体を揺らし、眉を潜めたその仕種…………明らかに動揺している。
(ユカ……何を知っているの……?)
この場で問いただす事は可能だが、場の空気も悪くなるのは必至。…やめておいた。
もし聞いたとしても、まともな返答は期待出来ない。…………そんな気がするのだ。
(私と勝負……とか言っていたけど………まさかね)
そのまさかの展開をユカが考じていようとは、キノはおろか他のメンバーも知らない。
…………………―
………………―
「さて、これからどうする」
手早く食事を済ませ、一休みしてから作戦を練る。
「…取りあえず、駅前は避けた方が無難かもね。あと、一人で行動するのもやめたほうがいいわ」
前回は追跡側も偵察程度なのか、あまり徘徊していなかったが、今日は分からない。もし仮に二人、三人一緒に行動した結果、捕まってしまった時を想定したら、一人で行動する方がリスクは小さい。が、一人で周りに神経を張り巡らせるのは、精神的にも体力的にもキツイ。しかも自分は大将だ。大将が捕まればその場で敗北となる。それだけは避けたい。
「そうね………私もキノの意見に賛成よ。今回は二人一組でペアを組んで行動しましょう」
「ん、俺もそれがいいと思う。お前たちは?」
クロがハナ達を見ると、ハナとモモ、タケは笑顔で頷いた。
「……じゃあ、早速ペアを決めましょうか」
キノがそう言うと、ハナが提案する。
「ここは公平にアミダクジにしようよ!!」
「うん!僕も賛成!」
「じゃあ……少し待ってて」
その提案に皆が賛成したのを確認すると、キノは棚の引きだしを漁って、紙とペンを出しクジを作りはじめた。
…………………―
………………―
………―
クジの結果……
「私はハナとね」
「うん!よろしくね!ユカ」
ユカとハナチーム。
「俺はモモか。よろしくな!」
「は、はい……よろしくお願いします……クロさん」
クロとモモチーム
「僕はキノ姉ちゃんとだ!よろしく!」
「うん…よろしく。タケ」
キノとタケチームに別れた。
その後、落ち合う場所を確認し解散した。
…………………―
………………―
……………―
「くそっ!一体どうなってる!!逃走側は素人の筈だ!!」
自分の読みが外れ苛立つサイ。ホテルはもぬけの殻。猫の子一匹いない…と知らせを受け、サイは逃走側のデータを調べはじめた。
「………皆、普通の女子高生だ。鈍臭さそうなのは居るが、頭がキレそうな奴はいない……何故だ……っ」
サイは自らの策に絶対的な自信を持っていた。サークルで培ってきた戦術スキル……必ず成功する筈だったのに……。
「俺の策を看破出来る奴は、クロくらいしか……………まさか……!」
「そのまさかかもね」
背後から聞こえた声に、ビクリと肩を震わせ、振り返ると、ライトブラウンのロングヘアーの女性が、扉にもたれるように立っていた。
「アヤ……!!」
「久しぶりね。サイ」
女性……アヤは美しく整った笑顔を見せる。
「……何しに来た。お前は……」
「あら、今年は出入り自由でしょ?何の問題もないはずよ…」
「……?」
不信をあらわにするサイに、アヤは小さく鼻で笑う。
「クロが追跡側を外れてどうしたか………知りたい?」
「!!知ってるのか?」
「ええ………教えてあげてもいいわ。条件付きだけど」
「………条件?」
ますます訝しがるサイに、思わず見惚れるような笑みで意味深に笑う。
「えぇ……心配しなくてもとても簡単な事よ…ふふふ……」
………………………―
……………………―
…………………―
―逃走側、ユカ&ハナ―
「ふう……一時はどうなることかと思ったけど…」
「なんとか撒けたね」
ふーとお互い息を付き、物影に身を隠す。遥か遠くで追跡者の声が聞こえていたが、やがて聞こえなくなった。
「ゴメンなさいね。私が大通りを行こうなんて言ったから…」
「え?ううん、ユカのせいじゃないよ!気にしないで」
実はユカの提案で、大通りから路地に入ろうとしたのだが、運悪く追跡者と鉢合わせし、命からがら逃げて来たのだった。
しかし、かなりスリリングで体力消耗の激しい鬼ごっこだ、とハナは心の中で呟いた。
「キノ達は大丈夫かしら。かなり追跡者が増えた気がする……」
「大丈夫だよ。モモは策士のクロさんと一緒だし、キノだって監査のタケと一緒だもん!」
「………そうね。とにかく、今一番の問題はどうやって残り時間を過ごすか…よね」
今ユカ達のいる場所……高架下の空きテナントだが、地下街や公民館のように制限されていない。何とか撒けたものの、だからと言って絶対安全とは言いきれない。居続けるのは危険だ。
「ん~…もう少し様子を見てから考えよ」
「ええ……さすがに今回はくたびれたわ……」
ユカがんーと伸びをする。ハナもつられて欠伸をした。そんなハナを見、ユカは心配そうに声を掛ける。
「大丈夫?私が見張りするから少し寝る?」
「え?ああ、大丈夫大丈夫!!安心しちゃって気が緩んだのかな」
「辛かったら我慢しないで?」
「平気だよ。ユカこそ少し寝たら?顔色悪いし…」
実はユカは今朝から少し熱っぽかった。慣れない環境で気を張っていたからだろう。しかし、皆に迷惑は掛けられないと黙っていたのだ。
「……バレちゃったわね。じゃあお言葉に甘えて少しだけ…」
「うん。おやすみ、ユカ」
ユカはハナにもたれかかり、間もなく寝息を立てはじめた。
―逃走側…クロ&モモ―
一方、クロとモモは地下街にいた。しーんとした通路を二人が歩く音だけが響く。
「しかし、表に随分張り込んでるみたいだな…当分大人しくしておくか。モモ、大丈夫か?」
「はい。大丈夫…です…はあはあ………」
「……辛そうだぜ?どこか座るか」
「……すみません……」
地下街に来たのはいいが、周りに大勢追跡者がおり、なかなか入れず歩き回ったのだ。
普段から運動音痴なモモはすっかりくたびれていたが、クロの足を引っ張るまいと無理矢理付いて来ていた。口では大丈夫とは言っているが、その疲れは顔に出ていた。
クロはモモの手を引き、テナントの近くのベンチにモモを座らせる。
「ちょっと待ってな」
「?」
クロはモモにそう言うと、一つだけシャッターが開いている店に入って行った。
しばらくして、缶ジュースとチョコ菓子を手に、モモの元に戻ってきた。
「ほら、りんごで良かったか?」
「え?は、はい。あの……これ……」
お店の人は居たのだろうか?シーンと静まり返ったこの空間、やりとりの話し声くらいは聞こえてもいいはずだが、聞こえなかった。モモが戸惑っていると感じたクロは、安心させるように笑いながら説明する。
「大丈夫だよ。鬼ごっこの期間中に使用する施設とか、品物とかは主催者がすべて買い占めてるんだよ」
「え………そうなんですか?私てっきり……」
「盗んだと思ったか?」
「え…………と…………はい」
「ははは!そんな顔するなって。初めて参加したんだ、知らなくて当然だよ」
「……すみません…;」
謝らなくていいと笑いながらモモの頭を撫でるクロに、モモはほっとしたように笑う。
「やっと笑ってくれたな」
「え…?」
「いや……なんかさっきまで泣きそうな顔してたからさ。俺じゃなくてキノと組んだ方が良かったか………とか考えてて」
少し淋しそうに話すクロを見たモモは、そんなに心配させた事を申し訳なく感じた。
「ち、違います!あの………私、今まで男の人と二人きりになるなんて事無くて。いつも、ハナ達と一緒で……その……」
一生懸命言葉を繋ぐモモをクロは優しく見つめる。
「だから……そのクロさんが嫌いとか怖いとか……そう言う訳じゃないです」
「そっか……」
「……むしろ、安心してます。クロさんが居れば大丈夫って………」
「!……ありがとな。それだけ聞けりゃ十分だ。頑張って逃げ切ろう」
「は、はい!!」
笑い合う二人。
クロは内心驚いていた。なぜなら、モモはハナと居るとき以外、まったくと言っていいほど言葉を発さない。正直、受け入れられていないと思っていたが、今のモモの言葉でそれは杞憂だったと知る。
(こりゃあ、なんとしてでも勝たないとな…)
ニコニコしながらジュースに口をつけるモモを見、クロは改めて決意を固めた。
…その裏でどす黒い悪意が渦巻き、自分を巻き込もうとしているとは、この時のクロは気づけなかった。
一方、キノとタケはと言うと……
「ちっ…しつこい」
「キノ姉ちゃん、もう少し頑張れば撒けるよ!」
追われていた。
別にどちらかのミス…という訳ではなく、単純に運が無かった…らしい。
駅前を避け、裏道から安全な場所を探そうとしたのだが、何故か今日に限って追跡者が多い。
昨日の今日……。
自分の不運さにほとほと嫌気が挿した。
「はあはあ……」
「キノ姉ちゃん!しっかり!!…あ、こっち!!」
タケはキノの腕を引っ張り、地下通路に入り込んだ。地下通路には複数の小部屋があり、その一番奥の部屋に飛び込み、静かに扉を閉めた。ドアに張り付き、聞き耳を立てていると、暫くして地下通路の入口辺りで話し声がしていたが、その内静かになった。その瞬間、二人は気が抜けたように座り込んだ。
「はあ………なんとか、なったみたい…」
「うん……さすがにヤバかったね……でも、ここに何時までも居られないよ。連中はきっと嗅ぎ付けてくる筈だから…少し休んでから別の所に移ろう?」
「……そうね」
この地下通路も制限されていない場所。しかも、今隠れている場所は、地下で廊下の突き当たり。追跡者が来てしまえば逃げ場はない。まさに四面楚歌。タケの言う通り、居続けるのは危険だ。
暫く、座り込んでいた二人だが、何かを見つけたのかタケが立ち上がった。向かった先は……冷蔵庫。
「あ、いいもの見っけ!すっげー冷えてる!」
「?タケ?何してるの?」
ゴソゴソ漁っていたタケが、キノの元に戻り、手にしていた物を差し出した。
「はい!」
「え……缶ジュース?」
よく冷えたスポーツドリンク。廃墟かと思ったが、電気が通っている所を見ると、何かの事務所のようだ。しかし、
(……これって、犯罪にならないの……?)
なぜなら勝手に黙って、戴いているのだ。泥棒と言われても何も言い訳できない。スポーツドリンクを凝視しながら固まるキノに、タケは笑いながら言う。
「大丈夫だよ。キノ姉ちゃん。クロ兄ちゃんから聞いてない?この『鬼ごっこ』の最中に、逃走側が利用する施設とか食べ物、日用品とかは統べて主催者が買い占めてるんだよ」
確か、初めて出会い、集合場所のホテルに行ったとき、クロからちらりと聞いた事を思い出した。
「あ…そういえばそんな事、言ってたわ…」
「だから、黙って飲んでも大丈夫!!」
そう言うと、タケはプルタブを開け飲みはじめた。暫く考えていたキノも、タケに習い飲みはじめた。
…………………―
……………―
…………―
「やれやれ…やってられないな……」
こちらは追跡側の陣地である広場。
テントから出てきた青年、スズは不機嫌オーラを漂わせながら、街に向かい歩きだした。今回の策士は無茶苦茶過ぎる。しかも、他の奴らも今までの鬱憤を晴らすかのように、その非道な策に手を貸し、自分以外誰ひとり咎める者はいない。せめて、クロが居てくれれば……こんなどうしようもなくつまらないこんなゲームの為に、あんな奴らの為にサーチを使いたくない。
スズは決心した。
追跡側を外れる。クロと合流するまでは中立でいて、合流出来たらクロと同じ、逃走側の協力者となればいい。
「ふう…思い残す事はない。さあ、行くか……」
スズは振り返る事無く、追跡側の陣地を後にした。
…―その頃のキノ達は…
「キノ姉ちゃん、クロ兄ちゃんの事どう思ってる?」
「ふぐっ!?ゲホッゲホッ!!」
「わわっ!!大丈夫!?」
突然のタケの質問に、咀嚼し飲み込もうとしたあんパンを喉詰まらせたキノは、慌てて背中をさする彼を、軽く睨む。
「……ちょっと。危うく死ぬ所だったじゃない。変な質問しないで」
「ゴメンゴメン!だってキノ姉ちゃん、クロ兄ちゃんといる時は凄く穏やかな顔してるから」
「////!?…き、気のせいじゃない?」
「そうかなあ…ハナとモモもそう言ってたけど」
「!!?………あいつら……っ」
常にキノの側にいる二人は、些細な変化を感じ取っていたようで…。おそらくタケにあの時の話をしたのだろう。しかも、余計なオプションも付いている模様。
しかしキノは、否定はするものの顔に集まる熱はごまかし切れず、顔を隠すように俯く。
正直、クロは嫌いではない。寧ろ好きな部類だ。だがそれが恋愛感情なのか?と聞かれると、胸を張ってそうだとは言えない。
なぜなら、出会って間もなくお互いを知らない。クロがどんな人生を送り、どんな学生生活を送っているのか。どんな事が好きか嫌いか。付き合った事のある人はいるのか…だとしたら、相手はどんな女性なのか…………考えれば考える程、自分は彼の事を何一つ知らない事を思い知らされてしまう。
「………クロとは出会ったばかりよ。私はクロを知らないし、きっとクロだって私の事なんてしらない」
だからそんな事は有り得ないと言うキノに、タケはふーんと呟いた。
「人を好きになるって大変だよね。……でも、相手の事を全て知らないと安心出来ないの?」
「え…?」
思いがけず大人びたタケの言葉に、キノは思わず顔を上げた。
「俺さ、思うんだ。人を好きになるのって勢いなんじゃないかなあって」
「い……勢い……」
「うん。だって一目惚れってあるじゃない?それって一目見た勢いで好きになる事だよね」
「………な、何が言いたいの?」
語り始めたタケをジト目で見て話しを促すキノに、タケはん~と唸り、キノに向き直る。
「俺も難しい事は分からないけどさ、クロ兄ちゃんはキノ姉ちゃんに一目惚れしたんじゃないかな」
「…………はあ?なんで!?」
「クロ兄ちゃんを見てれば分かるよ。俺、小さい頃からずっと遊んでもらってたから、よく知ってるんだ。クロ兄ちゃん、今まで『女友達』は一杯いたけど、『彼女』はいなかったんだ。いや、つくらなかった。なんでだと思う?」
「?さあ…」
「本気で好きになれる人がいなかったから」
「…………それと私になんの関係が……」
「もう……ここまで言ったら察しようよ!!つまり、クロ兄ちゃんはキノ姉ちゃんに本気なんだよ!!」
「え………えぇ/////!?」
得意げなタケを前に、キノは湯気が立つほど赤面しあんぐりと口を開ける。
まさか、クロが自分を……?
出会った時の事を思いだす。
抱きすくめられた時の温かさやがっしりした体、程よく低く心地好い声。健康的に焼けた肌に整った容姿に、優しげな眼差し……そして、自分の手を包み込む、大きな手。
思い出し、想いを巡らせながら穏やかな微笑みを浮かべるキノは、正に恋する乙女だった。そんな彼女をタケはニコニコしながら見ていた。
とその時、タケがぴくりと反応した。
「………キノ姉ちゃん、隠れよう」
「え?」
「……来た」
「!!」
思わず息を止め、耳を澄ませると、コツコツと足音が聞こえ、しかもこちらに向かっている。
「どうしよう……!!」
「キノ姉ちゃん、そこの冷蔵庫の隣の色の違う板、押してみて」
「う、うん」
キノはタケの言う通り、冷蔵庫の横の色が濃い大きな一枚板を押した。
…………ギギギィ…………
「!こ、これ?」
「うん!思った通りだ!これはダクトだよ」
「ダ、ダクト?」
「要は外に繋がる通路…かな?さ、行こう!」
「え、えぇ」
二人は素早くダクトの中に入って行った。
その直後、間一髪で扉が開き一人の青年が入ってきた。
「……ここにもいない………か。どこにいるんだか…。合流までに時間がかかりそうだな」
青年…スズは眼鏡を持ち上げ、逃走側との擦れ違いにため息を吐きつつ部屋から出て行った。
(だが、たった今まで居た形跡はあるな。と、言うことは………まだ近くにいるかもな)
そう考えたスズは、一旦建物から出るため、出口に向かい足早に去って行った。
………キィ………
「行ったかしら?」
「いや、まだその辺にいるかもしれない。もう少しここで時間を潰そう。多分ここには戻って来ないよ」
「そ、そう……」
「でも、いつまでもいられないかもね。別のグループがここに来る可能性もある。
「そうね……じゃあ、30分したら脱出しましょう」
30分後………
二人は部屋を後にした。
……キノとタケが足音の主がスズだったと気付くのは、もう少し後だったりする。
「……ね?簡単でしょ?」
「…………ふん…そんな要求が呑めるか!」
「あら、クロに勝ちたいんじゃないの?」
「それは………」
「あなたはクロに勝ちたい。私はクロを手に入れたい…。目的の人物は一緒でしょう?」
「だが、それじゃ……」
「ふん。貴方は変わらないわね。意固地で頑固で屁理屈ばかりの全く面白みのない男」
「っ!…なんだと?お前こそ悪意の固まりの尻軽女だろう!!」
「ふふ……なんとでも。さ、言う通りにしなさいよ?貴方には拒否権はないからね」
「てめぇ……」
「度重なる失敗に皆貴方を見限ろうとしているのよ?これ以上、惨めになりたいの?」
「…………」
「まあ、私はクロが手に入れば祭なんかどうでもいいわ。……貴方の事もね」
「……そうか。それを聞いて安心した」
「?」
「俺もクロに勝てば、お前なんかどうなろうが関係ないからな。……たとえ、どんな目に遭おうが俺の知ったこっちゃない」
「!?は?何様?あんたいい加減にっ……!!」
「………要求は呑んでやる。用件はすんだろ?さっさと消えろ。目障りだ」
「……っ!そんな態度取って……どうなったって知らないわよ!?」
「消えろ!!」
「っっ!!ふ、ふん!!せいぜい足掻く事ね!あんたなんてどんなに頑張ったってクロには敵わないわ!!」
「………お前が出て行かないなら俺が出ていく。もう二度と俺の前に姿を見せるな…」
サイがいなくなり、しんとした室内に取り残されたアヤは、普段は絶対に見せない表情をしていた。
サイが自分を未だに惚れていると思っていたアヤは、自分の言うことならなんでも聞くだろうとタカを括っていた。しかし、当のサイは自分を見限ったのだ。しかも自分を侮辱した。
自らに絶対的な自信を持つ、アヤにとってそれはとてつもない屈辱だった。
「…覚えていなさい。貴方が誰を敵に回したか、教えてあげるわ…」
……それは、悪意に満ちた悪鬼の顔。
その悪鬼が動き出すまで
もう少し………
《悪意》END
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